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あとがき

ゆるやかなディストピアについて考えている。

冷房が効きすぎた部屋から夏の日差しの元へ出ると、自分の肌と大気との間に薄い膜があるように感じる。
その膜が、日に日に分厚くなっている。

片手を挙げることすら億劫で、何かやらなければという焦れば焦る程、頭がぼんやりとしてくる。

生きることは緩慢な死。

ディストピアにいるからと言って、不幸という訳ではない。

気のきいた冗談だって言えるし、ごはんは美味しい。

あれに似ているな、と思う。
星新一が描く終末の世界。
地球が見る走馬灯、自分だけのために押すタイムカード、死者を呼び出す装置。イニシャルだけの人々は、ひっそりと身支度をする。

友人と会う場がネット上になろうが、海外へ行けなかろうが、別に泣き叫ぶことではないのだ。

ただ、膜が一層濃くなるだけだ。

季節が折り返し、気温が体温を下回っていく。
その時、膜はどうなるだろうか。
挙げた手は、何かに触れているだろうか。

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