SAKE DIPLOMA 試験対策を「超える」対策 その4-3 【日本酒における米】

こんにちは。

「あと」です。

今回は、予告通り、山田錦について書きたいと思います。

「酒米の王様」と呼ばれることもある山田錦は、SAKE DIPLOMA認定試験の教本でも多くの項を割いて解説がなされています。そして、そのほとんど全てが暗記必須事項という、まさに受験生泣かせの品種なのです。

ここでは、山田錦に関して深く解説することは、あえて避けます(村米制度に関しては紙幅を割いて解説していますが)

これまでの記事とは少しアプローチの仕方を変え、よりSAKE DIPLOMA認定試験にフォーカスを当てた記事を書いていこうと考えております。

私自身がどのような思考回路で試験勉強をしていたのか。それを、山田錦を題材にしつつ、教本に沿って振り返っていこうと思い至りました。

名付けて、『対·山田錦戦奮闘記』!!(`・ω・´) ドヤァ

果たして需要があるのか分かりませんが、お付き合いいただければ幸いです。

※SAKE DIPLOMA認定試験対策にあまり興味が無いという方は、「2.山田錦奮闘記~村米制度編~」だけでもお読みください。山田錦開発の歴史を感じていただけると思います。


1.対·山田錦戦奮闘記 ~歴史編~

まずは、山田錦の命名理由や交配元に関する内容、いわゆる歴史編です。

試験勉強をする時、避けて通れないのが暗記です。こうして解説記事を書く身として、その負担を軽減するような内容が書けるよう精進したいところですが、やはり暗記をゼロにすることは難しいでしょう。

特に、歴史って、私自身も社会科の教員免許を持っているから分かるのですが、テストが作りやすいんですよね。人名や年号など、ズバッと正誤が区別できてしまう。だからこそ、受験生それぞれがどこまで勉強してきたか、それが正答数にダイレクトに現れるわけです。

山田錦に関しても、その歴史を理解した上で重要事項をしっかり暗記することが重要になってきます。

教本で山田錦についてまず取り上げられるのは、その命名理由です。そしてなんと、それが3つも挙げられている・・・。山田錦の命名理由を決定づける資料が戦災によって失われたと考えられているため、それが絞りきれていない現状なのだそうです。

その3つの説というのが、①山田勢三郎説、②田中新三郎説、③東田勘兵衛説であります。それぞれ発見者とされる人名が元になっているのですが、①と②が似通っているせいもあり、これがまたなかなかに覚えにくい。そこを分かっているのか、実際の試験問題でも、これを入れ替えて正誤問題を作ってくるのです。

こういう場合は、語呂合わせを応用してイメージで覚えるに尽きます。私が語呂合わせに走る時には大切にしているポイントがありまして、それは、「なるべく自分で作る」ということです。自分で作ったほうが忘れにくいですし、なにより、語呂合わせを考えようとすることで用語そのものと向き合う時間が自然と増えるという利点もあります。

そして、その際に、「情景を絵でイメージしながら語呂合わせを作る」ということを意識しています。ただ字面だけで覚えるのではなく、なるべく情景がイメージできる語呂を作るように心がけています。これも、そのほうが記憶の定着を助けるためですね。

さて、では、それを山田錦の命名理由にどう反映させたか。

①の山田勢三郎さんは、豪農であったと教本に書かれています。つまり、勢いがあったのでしょう。だからこそ、自分の田んぼで見つけた稲を改良するような財力もあった。山田勢三郎という名の農家さんが自分の田んぼで勢いよく稲を刈っている様子を想像する。これをまずは脳みそに記憶します。

そして、②の田中新三郎説。注意すべきなのは、この田中説だけは発見地が三重県とされていること。そして運良く、田中新三郎という名前には「三」という漢字が使われている。これはもう、関連付けない手は無いですね。「三重県の田んぼの中で新しい稲を見つけている情景」をイメージする。「三」に加えて「田」「中」「新」と、4つの漢字を盛り込んで、定着を図ります。

これで①と②を覚えてしまい、あとはそれ以外ということで③にも目を通しておく。

以上のような"イメージ記憶法"とでもいうような記憶の仕方によって、私自身は暗記すべき項目を少しずつ潰していきました。

ただ、こうした記憶術すらなかなか使えず、反復練習しか覚える手段が無い知識もありました。それが、交配元に関する知識です。試験では山田錦に限らず、教本で取り上げられている酒造好適米に関しては、交配元を問う問題が出題されます。その全ては、ただ純粋に暗記するしかありませんでした。もう、こういう類の問題は、繰り返し解いて覚えるしかないです。

ですが、このような単純な知識に関しては、覚えてしまいさえすればそれだけ点にも直結します。私自身、試験前日の深夜に「あぁあぁ、また同じ問題を間違えたぁあぁあぁ!!」とか思いながら泣きながら解いた交配元に関する問題が、試験本番でそのまま出て、凄く感激したのを覚えています。笑

苦手な問題ほど何度も繰り返し解いて、必要な知識はしっかりと暗記しておきたいですね。

ここで取り上げた山田錦の命名理由のように、暗記する他ないような知識に関しては、自分に合った暗記術を何個かストックしておくことが大切です。書いて覚えるのが得意な人がいれば、声に出すと覚えやすい人もいる。あとは、最後は気合いです。笑


2.対·山田錦戦奮闘記 ~村米制度編~

さて、次は、村米制度についてです。

村米制度に関しては、私自身、知識を記憶する上で最も苦戦した部分と言ってもいいかもしれません。そのくらい、覚えなくてはならないことが多い・・・泣

教本がある方は、P.39~P.42の年表を見てください。ここには、ズラーーーっと細かい年表が載っているのですが、なんと、そのほとんど全てが試験頻出。年号は勿論のこと、小さく書かれた解説文も全て重要事項。目を背けたくなるような、本当の話です。

そもそも、"村米制度"という名の制度そのものがイメージしづらかったのは私だけでしょうか。

これは、酒蔵と農家の直接契約のことだと考えるとしっくりくるでしょう。これは今でこそ珍しくない形態ですが(独自の山田錦コンテストを開催している旭酒造などが際たる例)、この直接契約制度こそが山田錦という酒米を生み出したと言えます。

前回の記事で触れましたが、五百万石の研究開発は、新潟県に根付いていた新田開発の伝統に拠る所が少なくありません。同様に、山田錦を生み出したのが村米制度の歴史であるわけです。

「山田錦という酒米を生み出す土壌となった制度」として村米制度を捉えた上で、それを武器に、改めて年表と格闘してみましょう。

ただ無闇矢鱈に暗記に走るのではなく、ここでも、まずは大枠の流れを掴むことが大切です。少し長くなりますが、村米制度の歴史の流れを追ってみましょう。

村米制度の起源をたどる際、以前の記事で紹介した「日本酒を課税対象として捉える」視点が参考になります。ここでは、特に「米を課税対象として捉え」てみましょう。

江戸期まで、米は主たる課税対象でした。だからこそ、権力者にとって米の質を維持することが重要な政策だったのです。質の高い米が取れれば、それはそのまま自らの懐を潤すことに繋がるからですね。こうした理由から、米は各地で厳しい検査が行われ、それが米の質を一定程度保証する役割も担っていました。

それが崩れたのが、明治新政府による地租改正に端を発する税制改革です。税が次第に金納へと変わっていったことで、米に対する検査は逆に緩くなりました。それが、米の品質の低下を招いたのです。

こうした状況を憂慮したのが、各地の酒造家でした。特に、江戸期から既に酒の一大産地だった灘を擁する兵庫県にとって、米の品質低下は県内の重要産業の衰退に直結します。そうした事態に陥るのを避けるために、酒蔵と米農家がタッグを組み、質の高い酒米を契約取引を行いました。これが、村米制度の始まりと言われているわけです。

県も、農事試験場を設けて米の品質向上に力を注ぎます。また、統一性のある検査制度に対する要請の高まりを受け、米穀検査法も制定。これにより、農家はより一層品質改善に取り組みます。必然的に酒蔵との結びつきも強まり、村米制度は一段と軌道に乗ります。

ここまでが、1910年ごろまでの流れになります。山田錦の開発を呼んだ村米制度の土壌が整う、萌芽の時期です。教本が手元にある方は、1908年の項目までを一度整理しておくと良いでしょう。

こうした品質向上の動きは、みるみる広がっていきます。大正時代に入ると、山田錦の源流となる原種の生産がスタート。1923年には山田穂と短稈渡船という名の2つの品種の人口交配が行われ、後に山田錦と命名される品種が遂に産声をあげます。

時代は、昭和へと移ります。1928年には日本で唯一の酒米専門の研究機関である、兵庫県立酒造米試験地が設立。本格的な研究開発により、1936年に採用された優秀品種が「山田錦」と命名されるに至ります。

しかし、山田錦は開発後すぐにキングの座に君臨したわけではありません。教本P.42には1938年の村米格付け表も掲載されていますが、この頃はまだ山田錦以外の兵庫県産米が取引の主流でした。そもそも兵庫県産米の評価そのものが未だ絶対的なものではなく、県外で栽培された米の方が高評価を得ていたといいます。

この状況が一変したのが、1940年の臨時米穀配給統制規則の施行です。太字にしただけあって、この出来事は山田錦の歴史の中で最大級と言っていいほどの転機になります。この制度により、県外米の利用に大きな制限がかかったのです。それまで県外米を使用していた灘の酒蔵も兵庫県内で栽培された米の使用を余儀なくされます。それが皮肉にも山田錦の酒造適性に対する評価を飛躍的に高めました。つまり、山田錦は、戦災の中で必死に苦闘した先人たちの知恵の産物でもあるわけです。

そうした苦闘も虚しく、戦火は次第に悪化。明石大空襲によって兵庫県立農事試験場が消失します。冒頭でも取り上げた山田錦命名に関する資料の他、多くの育成記録も失われてしまいました。

これが、1945年までの経緯となります。山田錦の誕生と、その後の戦災の時代。教本を読んで、いま一度整理しておきたいところです。

1945年8月、終戦。

その後、山田錦は全盛期を迎えます。1950年制定の農作物検査法や、翌年に定められた地域別格差の分類により、その品質は益々向上。評価が高まるにつれ、作付の面積も増加していきました。

1962年からの3年間は、山田錦の歴史上、いわば「黄金期」。62年の史上最高出荷量記録更新にはじまり、63年には作付面積も最大記録をマークします。それを受け、64年には地域別格差の分類を更に厳格化。現在も残る特A地区の認定が始まったのもこの年です。

ちなみに、この3つの年号は、試験頻出です。「出荷が増えたから作付を増やし、それに対応する分類が定められた」という流れを頭に入れれば、1962、63、64年と、順番を間違えることなく記憶できます。

その後、1977年にはJAみのり東条ライスセンターが設立され、山田錦の原料処理が地域内で集約化が進みました。これにより、農家毎の契約体系であった村米制度の土台は崩れました。しかし、山田錦そのものの評価は衰えることなく、2016年に生誕80周年を迎えた後、令和の世となった現在においても「酒米の王様」として君臨し続けています。

また、山田錦の研究開発に寄与した兵庫県立酒造米試験地は、その後も様々な研究によって県内米の品質向上に努めています。現在では海外輸出向けの酒米開発にも力を入れ、日本初のローマ字表記の酒米「Hyogo Sake 85」の製品化にも乗り出しています。

以上、かなり長くなりましたが、村米制度発展の歴史を辿ってまいりました。この流れを頭に入れた上で、再び年表を眺めてみてください。事前知識が無かった状態に比べ、また違った景色となってはいませんでしょうか。

根性任せの暗記ではなく、まずは用語ごとの意味や繋がりを頭に入れた上で、最後に必要なことに絞って集中的に記憶する。覚えるのが大変そうな年表の記憶も、流れを頭に入れれば、大きな武器を手にした気がしませんか?


3.対·山田錦戦奮闘記 ~産地編~

奮闘記のラストは、産地に関する項目についてです。教本ではP.43~45の部分に当たります。

ここでは、兵庫県がいかに酒米の栽培に適した気候環境及び土壌になっているかが述べられています。専門的な用語も多く面食らいますが、キーワードとしてモンモリロナイトを含む良質な土壌である、ということが頭に入っていれば、試験を受ける上では十分かと思います。

また、「南北よりは東西に開けた中山間の谷あいや盆地」が酒米の栽培には適している旨の記載があります。ここを、「東西よりは南北」と入れ替えてくる問題も目にしました。安易な作問な気もしますが、要するに、気温の日較差が重要ということですね。

この範囲において、気候や土壌以上に重要なのが、地図の暗記。教本P.43に記載されている「[図表12]兵庫県の酒米産地図」と、P.45の「[図表14]兵庫県産山田錦の特A地区」は最重要項目。試験頻出ポイントでもあります。

まずは図表12に関して、私自身がどのように記憶したかを参考までに記しておきます。この図表は、品種の分布は覚えやすいですが、難儀なのは市と町の名前と品種名のリンクです。

最初に注目したいのが、町名。市名より町名の方が覚えやすいので先に片付けましょう。山田錦の産地となっているのが、猪名川町と多可町。これを最初に覚える。次に、五百万石·兵庫北錦を産む香美町と新温泉町を「北にある華美な温泉」という語呂で記憶。それ以外の町は全て兵庫夢錦の産地です。

市名は、もう少し労力を使います。これもまず山田錦の産地から攻めましょう。

三木市·加東市は、山田錦の産地として有名ですね。神戸市北区と小野市にも特A地区があるので、ここはまずしっかり覚えたい所。三木市と同じ「三」の字が入っている三田市と、加東市の隣の加西市は覚えやすいですね。加西市を覚えれば、同じ「西」の字が入った西脇市も付いてくるでしょう。

山田錦の産地を片付けたら、今度は兵庫夢錦。これは、3つしかありません。お城が有名な姫路市と、名前が少し特徴的な穴栗市と、たつの市。特徴的なだけに、割と覚えやすいのではないでしょうか?

フクノハナの産地である豊岡市出石地区を忘れずに覚えてあげて、あとはそれ以外は全て五百万石·兵庫北錦の産地となります。

図表12、こうして順々に覚えていけば、割とバッチリ覚えられると思います。

問題は、図表14。集落名がこれまたズラーーーっと記載されています。しかし、特A-a地区の5つの町名(吉川、口吉川、東条、社米田、社上福田)を覚えたら、あとは捨ててもいいと思います。たしかに試験でもここから出題はされます。だからといって、この膨大な集落名を全て覚えていた人を私は知りません。ここ以外に覚えることは沢山あるのですから、まずはそちらに労力を払うのが賢明です。力配分ができることも、合格への近道かと思います。

私自身、実際にそれで受かってますから。笑


4.まとめ

今回は、「対·山田錦戦奮闘記」と題し、SAKE DIPLOMA認定試験対策にフォーカスを当てながら山田錦に関して解説してきました。

試験を受ける方もそうでない方も、試験対策の方法論の1つの在り方を感じていただけたのではないでしょうか。暗記が多くて大変に感じるかもしれませんが、その負担を軽減するにも、用語同士の繋がりや歴史的背景の流れを掴むことが大切になるのはこれまで述べてきた通りです。

ただ、新しい知識が増えれば増えるほどに、目の前のグラスの中の日本酒との距離が縮まったような感覚も増してくる。これもまた、一つの魅力なのかもしれません。


注)私は、まだまだ日本酒を勉強したての身であります。記載事項に関しては、自らのSAKE DIPLOMA認定試験合格の武器になったことは事実ですが、専門的見地からすると誤りであることも多々あるかと思います。その際は、ご指摘を頂けると非常に助かります。


























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