理系と文系の話

本日は理系と文系の話です。

100%持論なので、こういう考えもあるんだ〜って感じで、お願いします。

経緯

筆者は一応理系です。

そこでよく「文系は人の心が分かる、理系は分からない」「コミュ力が低い」みたいな話をよく聞きます。それはおそらく、国語の問題は感性で解き、数学の問題は論理で解くとされることが多いからだと思います。

しかし、実際はそうでもないです。そんなことを高校時代に考えていたので、改めて書き起こそうと思った次第です。高校時代なので、国語と数学の難易度は大学入試レベルを想定しています。

数学の問題の解き方

数学は公式などの前提知識が無ければ解けません。しかし必要とされる前提知識は多く無く、実際に必要なのは問題作成者とのコミュニケーションです。

問題作成者とのコミュニケーションとは、つまり作成者の意図を汲み取ることです。

数学の問題は大半が問題文に導線があり、それを手がかりに問題を解いていきます。あるいは(1)の答えを(2)で使うような、作成者が筋道を用意してくれる場合もあります。

つまり問題文を読み作者の意図を察することこそが、数学の問題を解くにあたって最も必要な能力となるのです。

なんか国語の問題っぽくなってきましたね。特に問題文を読んで作成者の意図することを考える辺りとか。

このように、数学は実は国語の問題っぽいことが分かりましたね。

国語の問題の解き方

ここでまず筆者は大学受験レベルの国語の問題しか解いていないことをあらかじめご了承ください。

国語の問題は基本的に主観を排除しているイメージです。文章を読んだ際、全員に一意な解釈をさせるため、そこに主観は存在しません。

特に「主人公の気持ちを〇〇文字で抜き出せ」など問題は、まさしく読み手の感想を一切排除している気がします。

また問題作成者の意図も不透明な場合が多いです。というか筆者と問題作成者が違う時点でどうなのって感じますが。

こう考えると、国語の問題が感情論ではなく無感情論であることが分かりました。

数学が感性で国語が論理では?

話をまとめますと、数学の問題は与えられた問題文に自由な捉え方が許され、作成者の意図を汲み取らせる。

国語の問題はその逆で、主観を一切排除した機械的な解き方をさせる。

勿論これは自分の解き方であって、全員がこうではないでしょう。

ただ、国語が感性で数学が論理っていうのは、全くの逆じゃないかと思います。

最後に

理系と文系の話でした。筆者は理系であり理系側に加担した話ですので、気分を害されたのなら申し訳ありません。

ところで、受験生の頃これを持論として「理系の方が人の感情分かるよ!!」みたいな話をしてた気がします。

しかし世の中では理系はコミュニケーション能力が低いとか言われています。

個人的には「数学の成績」と「コミュニケーション能力」の相関分析とかしてみたいですね。

ではではー

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