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「社会の役に立たない研究はいらない」のか

自分の研究が社会の役に立つのか?と尋ねられたときに,どう答えるのがいいのでしょうね。おそらくどんな答えを返しても,気に入らない人にとっては気に入らない答えになってしまいそうな予感もします。

社会経験

「社会の役に立つ」という表現はとても曖昧です。この表現は,使う人によって好きなように使えてしまうという側面があります。

「社会人」とか「社会経験」といった言葉も,「社会の役に立つ」という表現に似ています。「学校教員は社会経験がない」「大学教員は社会経験がないからダメなんだ」という言い方をすることがあります。そこでも「社会」というのは,何を指しているのでしょうか。

学校も大学も社会の一部です。そこで働く教員たちも普通に街中で買い物をし,選挙になれば誰かに投票し,税金を納めています。「社会経験」というのは,そういった経験のことではないのでしょうか。

社会の中身

もしも「社会の役に立つ」の「社会」の中に,人間の営みがすべて入るのであれば,おそらく役に立たないような研究というのはほとんどなくなるのではないでしょうか。

人間の営みはそれぞれが孤立したものではなく,すべてがどこかでつながっているものだからです。

役立つことをアピールする

そもそも,研究者が論文を書いたり研究費の申請書を書く時には,その研究が「こういうふうに役立つのです」とアピールするように書くものです。そうしないと研究費の申請書も通りませんし,論文の意義がよくわからないものになってしまうかもしれません。

ただしそれは,今世の中で起きている問題を,直接解決に導くような研究の内容ではないかもしれません。

研究はつながる

おそらく,こんなイメージをもつと良いと思います。

ある研究は,その研究だけで単独で社会の役に立つわけではありません。また,ある研究者だけが存在することによって,いちから役に立つ研究が生まれて発展して成立するわけでもありません。

研究は研究同士でつながっていきます。前に発見されたことが次の研究に役立てられ,前の研究で工夫された道具が次の研究で用いられていき,前の研究で考え出された理論や仮説が次の研究に引き継がれて発展したり検証されたりするものです。

研究をしていると感じるものですが,ぱっと頭に思い浮かぶようなアイデアというものは,たいてい過去の研究を遡ってみると,どこかで別の研究者がすでに思い浮かべているものである場合が多いのです。

もちろん,そのつながりが途中で立ち消えてしまうことはたくさんあります。でも,そのなかのなにかが,それはなかなか予想はつかないのですが,思わぬところで,とても役に立つ研究へとつながっていくことがあるのです。

結果論

このように考えると,ある研究が社会の役に立つかどうかは解釈の問題であり,結果論です。研究している本人が「きっと役に立つ」と信じていても,どこかで現実社会につながらず頓挫することもあります。逆に研究している本人にも,思わぬところで役に立つこともあるのです。

「自分の研究は何の役にも立たない」と研究者自身が言う時は,まあ謙遜していることが多いのではないでしょうか。内心は,本人は何かしら役に立つものだ(今の目の前の社会の役には立たないかもしれませんが)と思っていて,実際に論文や研究費の申請には研究の意義を書くものです。

研究者以外や異分野の研究者がある研究を指して「研究が役に立たない」と言う時には,何をもって「役立つ」のかという観点がズレていたり,研究の内容が理解できていないか(研究者でも別の研究領域の研究内容を理解するのは困難です)ではないでしょうか。

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今回はこちらの書き込みをもとに書き直したものです。

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