好奇心と曖昧さへの態度との関係
好奇心というのは,自分自身が十分に理解していないこと,あまり知らないことを認識したときに,それに近づきたい,知りたい,かかわりたいという欲求として現れます。
好奇心にも,目で見たり耳で聞いたりすることに対する好奇心や,他の人のことを知りたいという好奇心など,いくつかのパターンがあるようです。そのなかでも,新しいことを知りたいと思ったり,深く理解したいと感じることは,知的好奇心と呼ばれます。
知りたいこととの距離
好奇心が生まれるには,何か「ちょうどいい距離」のようなものがあるかなあ,と感じています。何かを目にしたときに,もう十分に理解していれば好奇心は生じません。しかし逆に,あまりにもわからないことを目にしたときにも,それを知りたいとは思わないでしょう。目にした情報と自分自身が知っている情報との間の距離の「ちょうどよさ」が,好奇心を生みだすコツではないでしょうか。
不確実さ
世の中には,わからないことがとても多く存在しています。それらのすべてをわかろうとするのも,無謀なことではないでしょうか。
曖昧な状態に耐えて,曖昧さをそのまま受け入れることを,曖昧さ耐性といいます。あいまいさに耐えることができることは,「好ましいこと」だとも言われています。すぐに物事を判断して,「これはこういうことだろう」と理解したつもりになってしまうのではなく,曖昧なものは曖昧なまま受け入れて,少しずつより確実に理解していこうとする姿勢をとるのも,あまりに複雑な世の中を渡っていくためには必要な態度なのです。
曖昧さ耐性と好奇心
しかしこのように見てくると,知らないことを知ろうとする好奇心と,曖昧なものを曖昧なままにしておこうとする曖昧さ耐性は,逆方向の意味を含んでいるように思えます。
しかし,好奇心も曖昧さ耐性も,ともに「好ましい心理特性」なのです。果たして両者は,どのような関係にあるのでしょうか。両者の関連を検討したこちらの論文を見てみましょう(Open or opposed to unknowns: How do curious people think and feel about uncertainty?)。
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