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首狩り族の背景

学会でアメリカに行ったとき,博物館で人間の干し首が展示されているのを見たことがあります。もうどこの博物館だったか,すっかり忘れてしまったのですけれども。

展示品のなかにいきなり人間の干し首が並んでいると,少し驚きます。また,こんな野蛮な風習があるのかと,つい考えてしまうのですが……

首切りの歴史

今回紹介する本は,『首切りの歴史』(フランシス・ラーソン著,河出書房新社,2015年)です。電車の中で表紙を見せるのをためらって,カバーを掛けて読んだのですけれども。

この本の最初の方に,人間の干し首についての説明が書かれていました。

首狩り族

19世紀の半ばごろには,南米のエクアドルとペルーのあたりに住むシュアール族が,人間の干し首をつくる文化をもっていました。16世紀ごろからこの風習があったそうなのですが,その目的は「死者の魂に宿る霊力を利用する」というものでした。

首狩り族というと,戦いの戦利品として首を狩ることを想像するのですが,シュアール族は基本的に平和な暮らしをしており,首が必要なときだけに「狩る」ことをしていたそうです。首のことをツァンツァと呼ぶそうなのですが,それを手に入れることは強い男として周囲から尊敬を集めたそうです。手に入れたツァンツァはその霊力を家族にもたらすために使われます。これが年に3回行われたそうです。霊力を家族にもたらしたツァンツァはもう不要なものなので,捨てられるか旅行者や入植者に売られていたそうです。

ビジネス

これが,ビジネス化していきます。シュアール族の首狩りが全盛期を迎えたのは19世紀後半でした。ほぼ1か月に1度の頻度で,数百人を巻き込む首狩り襲撃が繰り返されたそうです。

なぜ,そんなことになったのでしょうか。

アメリカやヨーロッパの人々が,干し首をほしがったからです。

アメリカやヨーロッパに持ち込まれた干し首は,商店や競売所,博物館,また個人の持ち物として重宝されました。売られれば必ず売れる商品だったので,需要に合わせて供給も増えていくことになります。

交換

ヨーロッパの人々は人間の干し首をほしがり,シュアール族の人々はヨーロッパの刃物や銃をほしがりました。

もともと,南米に入植したヨーロッパ人は,シュアール族に刃物や槍や銃を提供する代わりに,野生動物の肉や塩や干し首を受け取っていました。しかし,植民地として食糧生産ができるようになると,シュアール族が提供できるものは干し首と労働力だけになっていったのです。

するとどんどん,人間の首と銃を交換するビジネスが確立するようになっていきます。シュアール族の人々は,ビジネスとしてヨーロッパ人が持ち込んだ銃で人々を殺し,干し首を作っていったのでした。すでにビジネスになっていますので,成人男性だけでなく,伝統とは全く無関係の子どもや女性,白人,果ては人間以外の干し首も作って売るようになっていきます。

南米と同じような状況に陥ったのは,ニュージーランドのマオリ族も同じだそうです。世界中で人間の干し首が「商品」として提供されるようになっていきました。

博物館の干し首

というわけで,アメリカやヨーロッパの博物館に行くと,南米やその他の地域で作られた,人間の干し首が飾ってある状況が出来上がります。

果たして,野蛮なのは誰なのでしょうか。

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