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極楽寺にて

「ね」
うん
「また来る?」
ここ?
「そう。また来たいと思う?」
うん、思うよ

鎌倉は山も海も近い。
自ずと坂道が多いから徒歩だけでは辛いだろうし、古くて狭い込み入った道路がたくさんあるから自動車では生活しにくいだろう。

でも京都などと同じく古都ならではの落ち着きというか、流行りなどには左右されない独特の時間の流れがある。
僕はそういう空気が嫌いではない。

「名古屋にも行ってみたいな」
何もないよ
「そんな事ないでしょ」

彼女は実家の車を鎌倉駅に向かって走らせていた。
結局夕飯は彼女の実家でごちそうになった。
お父さんもお母さんも、とてもフレンドリーな感じで、お父さんはしきりに酒を勧めて、酔ったら泊まっていけばいいと何度も言っていた。
あとで彼女に聞くと、何故だか僕をとても気に入った様子だったらしい。
彼女の家は彼女が長女で妹がいる。
男性はお父さん一人なので、いつもと違う雰囲気を楽しく思ったのかも知れない。
夕食後、僕は彼女の部屋を訪れた。
6 畳ほどの和室だ。
古い家なので、洋室よりも和室の方が多い。
部屋は彼女がいた時のままだった。
あまり女の子らしくない、というか、余計な物が全くなかった。
ベッド、机の上に参考書とか辞典、棚にレコードが 10 枚ほど。
タレントのポスターとかぬいぐるみとか、そういう類の女の子を類推させるアイコンがない。
僕は彼女の気性を知っているので不思議には思わなかったが、初めて来た人は面食らうかも知れない。
かなり彼女の見た目からは印象が異なるだろう。

「またね」
うん

お土産に持たされた干物などの袋を抱え直し、僕は彼女に軽く手を振った。
一瞬、彼女がべそをかいたように見えた。
もともと表情が淡いので、笑っているのか泣いているのか分からない表情をする時がある。

彼女は手を振ると、眼鏡を掛けなおして自動車を発進させた。

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