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極楽寺にて

あれ?
「なに?」
ええと ……
「なによ?」
実家ってどこだっけ?
「はい?」
んー
「ホントにさ」
うん
「人の話を聞いてないというか、全然覚えてないよね」
そう?
「そう」

——

「ね」
うん
「一度行ってみる?」
どこに?
「実家」
え?
「菓子折りでも持ってさ」
え?
「お嬢さんを僕にください」
え?
「冗談よ」

——

「あ」
なんだよ
「今『ほっ』としたでしょ」

——

蝉しぐれと言うには、あまりに盛大な鳴き声に、つい話し声が大きくなってしまうような七月の終わり。
僕は彼女がメモに道順を書いてくれた通りの駅に降り立った。
改札を抜けると彼女は自転車に跨って駅の前にいた。

「無事着いた」
あたりまえだろ
「何いってんの。すごい方向音痴の癖に」

彼女はタンクトップにショートパンツ、そしてビーチサンダルを履いていた。
東京にいる時には、まず見かけない姿だ。

それは極楽寺ファッション?
「ああ、これね。こっちにいる時はこんなのばっかりだよ」
そうか
「だめ?」
いや

橋を渡った所にある文房具と駄菓子の店に行って、そこで僕らはラムネを買った。
そこから茹だるような暑さの中、彼女は自転車を押して緩やかな坂を下りる。
右手の石段を上がると成就院という古刹があった。
少し時期を外しているが紫陽花が所狭しと咲いていて、高台から下を見下ろすと由比ヶ浜が広がっていた。

「いい眺めでしょ」
うん

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