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むさしの写真帖

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「写真っていうのはねぇ。いい被写体が来たっ、て思ってからカメラ向けたらもう遅いんですよ。その場の空気に自分が溶け込めば、二、三秒前に来るのがわかるんですよ。その二、三秒のあいだに…
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#写真のたのしみ方

むさしの写真帖

むさしの写真帖

古いデジカメについて書いています。
ただしこれらの記事は2018年前後のものであるので、カメラのほとんどは手許にないのをご承知おきください。

追記: ネタが尽きたので写真、カメラにまつわること。またアラカンおじさんの日常について書いたりします。(2023年霜月朔日)

「7」というフィルムカメラ その2

「7」というフィルムカメラ その2

この記事を見返していて思い出した。
キヤノンの「7」といえば、EOSとかではなく「Canon7」というそのままズバリのカメラがあったじゃないか、と。
というか「7」というフィルムカメラというならこっちのが的を得ているではないか。

まあいいか、とも思ったのだけど、せっかく使っていたのだし、何枚か写真もあるから記事にしてみることにした。
カメラについての詳細はこちら。

この7以前にVt Delux

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ほっつきある記40

ほっつきある記40

今日はEOS10Dという2003年に発売されたカメラを使っているが、このカメラは630万画素である。
こんなふうにネットに掲載するだけなら何ら不自由はないのだけど、これをA3に伸ばすよ、なんてことになると、さすがに心許ない。
そういうときはAdobeさんのお世話になるのが吉である。
LightroomやPhotoshopなんかに実装されている「スーパー解像度」というのがあって、これを使うとAIによ

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高瀬舟(2012)

高瀬舟(2012)

森鴎外による「高瀬舟」はお読みになった方が多いのではないだろうか。
安楽死についての問題提起だとしたりする解説を能く見かけるのだけれども、僕は以下の一文が印象深い。

僕も何時の間にか折り返しを過ぎた。
不惑と言う様な年齢になっても、一向に心が穏やかになる事が無い。
今更己の人生に言訳を繕ってみても詮方ないが、矢張り僕は喜助ほどの器量も無い。
常に枡一杯の欲を持ち、それで足らなければ、更に大きな枡

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ひまわり

ひまわり

マストロヤンニとソフィア・ローレンの「ひまわり」を見たのはかなり昔の話だ。

見終わった後、彼女は映画館の近くにあった喫茶店で
「あんなのってないわ」
と憤慨していた。

思い出はいつも美しい。

ほっつきある記38

ほっつきある記38

ここで現像ソフトを変える。

そして元に戻す。

何しとるんじゃ、俺は。

六道の辻(2014)

六道の辻(2014)

落語では妻の墓所は高台寺にあって、「それもそのはず墓所は『子、大事 ( こうだいじ )』」とサゲる。
お伽話ともつかない様な話のデティールが実際に在る不思議さ。
僕が感じる京都の魅力はそんな所にもある。
( 写真は上から、1. 六道珍皇寺、2. 小野篁冥土通いの井戸、3. 井戸の縁起書、4. 六波羅蜜寺、5. みなとや )

ほっつきある記37

ほっつきある記37

手に持って使う物というのには適正な大きさというのはあるんだなァと思っている。
それはこのGF1についてだ。
ぼくは比較的手が小さいが、それでもGFに限ればGF2以降小さくなっていくボディは「座り」が悪い。

今現役で使っているカメラについて、あまり書くことがないのだけど、このGF1は紆余曲折あって手元にある。
そもそも始まりはオリンパスE-PM1である。
これはCマウントレンズで遊ぶために買ったの

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