見出し画像

剪定師とフスマ職人

この2月は不覚にも新しい職場の関係で、待ち時間が異常にあったお陰で、実家を補修することができた。

南向きの玄関周りと、北の風呂の後ろあたりの、主人にもう手入れすることを忘れられていた植物の剪定と、2階のボロボロになっていたフスマの修復を行ったのだ。

お陰で、スッキリできた。

もう、ここの主人は自らの意思で、それらに気を配ることができなくなっていて、自らの頭の中と一緒か、すべてがカオスになっている感じたった。

こうして自分の身の回りがスッキリすると、やはり、とても気持ちがいいもので、今を思えば、この前、自分の暗黒日記を書き、自分の過去を見直し、そして、その修復をしている自分と連動するものを感じた。

これらの自分の過去や身の回りがスッキリしたことで、さて、次なる方向性はと日々、昔みたいに気持ちは急いてしまうのだが、残念ながらこれはいまだ思い起こせずにいる。

このブログをはじめるにあたり、最初にあった気持ちも今は昔、現在は単なる日記の様を呈しており、はて、どうしたものかと、思いあぐねる気持ちに浸っている。

時代はいま、目の前で陰と陽がぶつかり、ようやく、陰から陽へと時代が移り変わって行きそうなのを目の当たりにしながら、こんな時に自分のすべきことはなんなのか、あいも変わらず、このように自分の命の使い道に困っているという有様で、我ながら、呆れる気持ちを覚えている。


まぁ、まずは目の前のひとに、やさしく、か・・・


ほんの少し前の記憶をも保持することができなくなったひとの代わりとなって、その記憶、そして、手足となることから、まずは努めるか。





そんなのができぬ奴には、大きな仕事などできるはずがない、か。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?