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#3 イチローのメジャーリーグデビュー - 2001年

ブログ書いてください、と言った整体の先生が、その発言をすっかり忘れていたことに笑った。1日10人以上診ていたらそりゃそうだ。しかし始めてみたら、自分の頭と心の整理に役立つし、単純に面白くなってきたので続けます

2001年、夏を目の前にして私はすねていた

イチロー選手がマリナーズに移籍した2001年
活躍することなど、私には想定内。これぐらい打ちます。足が速くて鉄壁の守備、強い肩。知ってます。日本のメディアまで何をびっくりしている。オリックスの時だってすごかった。レフト田口とのキャッチボール見たことないの?なんだ突然。前からすごかったし

と盛り上がりを冷ややかに見つつ、前から知ってるけど?という優越感を持ちつつ、しっかりNumberを買い、せっせと日刊スポーツを切り抜いていた(仰木監督を敬愛していたのでオリックスの記事も合わせて)

しかしだんだんと、楽しそうなイチローさんの笑顔を見るうちに、シアトルの美しいスタジアムと観客の熱い反応を見るうちに、違う感情が出てきた

私たちが送り出したイチロー選手(何様なのかは見逃してください)が、シアトル・マリナーズの、メジャーリーグのイチロー選手になっていく。「アメリカに取られた」ような気持ちが日増しに強くなる。シアトルの観客が楽しそうに「ウチのイチロー」感を出している

そして、すねた。すねたというのが一番しっくりくる
ちぇっ、という感じ

圧倒的なパフォーマンスでシアトルを虜にしたイチロー選手

楽しくやれるならメジャー移籍すべきだとか思っていませんでしたっけ?

我ながら勝手だなあ
ただ寂しかったのだろうけど…

ただ、どんなにすねようが、ファンでなくなることはなかった。尊敬する人はいつもイチローさんと書き、辛いことは「イチローさんが頑張ってるから私も」の精神でなんとかしようとしてきたと思う

その2001年秋から始まった就職活動で苦戦し、就いた仕事はとても忙しく、病気が見つかり、可愛がってくれていた伯父が突然亡くなり、子どもの頃から大好きだったマイケル・ジャクソンもこの世を去った。そして2011年の東日本大震災。何だか晴れ晴れとしない日々が続いていた

イチロー選手もその間、華やかな活躍の一方で、嫌なこともたくさんあっただろう(チームメイトやメディアとの間で)

一層イチローさんも頑張っているという思いを強くしながら、私はファンであることを誰かに話すことをやめ、ひとりで黙々と応援していくようになった。イチローさんに対する批判めいた批評(個人主義だのなんだの)を聞きたくなかったし、私が好きなんだからそれでいい。誰かに私の気持ちを理解してもらう必要はない、と考えていた。

残念ながらアメリカに観戦へという余裕はなかった
大変もったいないことをしたが、一度も渡米しなかった。2012年にヤンキースへの移籍が発表されるまでは…

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