#1 イチロー現役引退から3年
整体の先生が「ブログでも書いてくださいよ」と言った
彼は大谷世代、今や私が一番対面で会う人
コロナで完全在宅となり、上司も部下もZoomで会話
実家に帰るのも友達に会うのも控えめになり、長年のパートナーともソリが合わなくなったから(イチローさんに嫉妬し続けたパートナーとのエピソードはいずれ書きたい)
在宅勤務はとにかく肩が凝るし、足もむくむ
週1回メンテナンスしてもらうのが習慣になった
体中の筋肉や腱、神経について説明を聞くのも面白い
なんでブログ?と聞いたら、
野球とか映画とか、話が面白いから、と
いや、興味ありそうなことを、面白おかしく話してるのよ…マイケル・ジャクソンとかBTSとか興味なさそうだから話してないし…
なんて思ったけど、ま、やってみるか
と、とりあえず読者1名様に向けて始めてみる
元々、書くことは読むことと同じぐらい好きだった
学生時代はスポーツ記者を目指していた。なれなかったわけだけど、本気でなりたかったら、もっと色々な道を探してみればよかったのに、そこまでする考えも勇気もなかったのは、自分の残念なところである
スポーツ記者になりたかった理由は、
全てイチローさんにある
1994年、14歳の時にイチローさんのファンになって以来、私のアイドルはイチローさんだったし(三ツ矢サイダーの広告を下敷きに挟んでいた)、私のメンターはイチローさんだった
しかし、どんなに素晴らしい成績を残しても、パ・リーグの弱小オリックスにいるイチローさんの活躍をしっかり伝えている媒体は少なかった。年間200本安打も3割も当たり前のような扱い。イチローさんもどこか諦めているように感じられた。私はイチローさんの守備も走塁も、試合に臨む姿勢も、全ての魅力を「ちゃんと」伝えたかった
記者として就職できなかった時、書くことはやめると決めた。取材をしない(出来ない)のに、勝手に分析して、したり顔で書くことは、イチローさんにもプロの記者の方々にも失礼だと思ったからだ。その気持ちは今も変わっていないので、何について書くにしても、気をつけたいと思う
さて
今日は、イチローさんの現役引退試合から丸3年
3年前の今日をどう過ごしていたか思い起こすと、とても胸が苦しい。よく泣いたし、同僚は会社を辞めないかまで心配していた(仕事のモチベーションを失うという意味で)
本心では、私はすでに覚悟していた
しかし、誰にもそのようには言わないようにしていた
みんなをがっかりさせるし、覚悟をしてはいても「言霊」を警戒していた
覚悟の始まりは前年のシアトル
2018年のゴールデンウィークにシアトルにいた
イチロー VS 大谷翔平を見るためで、前のアスレチックス3連戦からシアトルに入り、毎日スタジアムに通っていた。大学時代の友人がニューヨークとワシントンから合流してくれることもあってウキウキしていた
なのに、エンゼルス3連戦を前にして、「今シーズンは試合に出ない」と発表された。会長付き?なんだそれは。数時間前に見たあの三振が最後?私はこんなに悲しい思いをするためにシアトルに来たのか?
もう日本に帰りたい
あまりの衝撃に大号泣した
(大号泣の様子は某テレビ局に取材頂いており、ありがたくも恥ずかしく動画でしっかり残っている)
ニューヨークから到着した友人が抱きしめてくれた
それからの1年、3年前の今日までは、完全に心の準備期間だった
引退から丸3年の日に、引退試合のことを書かないという、おかしな始まりではあるが、私にとって、私の永遠のメンターであるイチローさんについて書き始めるには適切な日であるので、ご容赦ください
もし仮に3年前の試合についての文章を期待して開いてくださった方がいたら、申し訳ないけど・・・
読んで頂いてありがとうございます
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