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「STEM教育」か「STEAM教育」か。「A」についてわたしが考えること

今回は、「STEM教育」と「STEAM教育」の違いについてと、私の考えを書いていきたいと思います。

1.STEM教育とSTEAM教育の違い

「STEAM」とは、下記5つの分野の頭文字を組み合わせた言葉です。そしてこの5分野を横断的に学ぶ教育手法が「STEAM教育」と呼ばれ、現在、世界的に広く注目されている教育分野です。

Science(科学)
Technology (技術)
Engineering(工学)
Art(芸術)
Mathematics(数学)

STEM教育とSTEAM教育は、文字が表す通り「A=Art」の要素を含むかどうかが異なります。

提唱したい概念だったり、提供したいサービスに、「A=Art」の要素を含んでいるか(含んでいると考えるか)の違いなので、どちらが正しいとか間違えているとかいうことではありません。

2.「A」=Art教育をどう捉えるか

これまでに私が科学教育に携わる中でも、自分たちがやっていることや、やりたいことが「STEM教育か、STEAM教育か」という議論はたびたびありました。

そのような議論の中で印象に残っているのは、STEAMではなくSTEMを主張する教育関係者の中には「自分にはAは無理」という人が多かったことです。

「Aは無理」という方たちは、「自分には絵心がない」とか「自分には芸術的センスがない」とおっしゃるのですが、このような発言に私は少々違和感を覚えていました。私はアートの教育の本質が、絵を上手に描かせたり、芸術作品を上手に創らせるための教育という認識ではなかったからです。

「Art」は日本語に直訳すると「芸術・美術」です。この「芸術・美術」をどう捉えるかに、「STEM」か「STEAM」かの意見の分かれ目があると感じています。

多くの大人たちが受けてきた美術の授業は、課題に沿って絵を描いたり作品を創ったりして、それを点数で評価されるものでした。

今になって思えば、その評価基準もよく分からないですが、おそらく先生にとっての上手い・下手で点数を付けられてきた苦い思い出が、一部の人にとって美術に対する苦手意識を植え付ける原因になってしまっているのではないかと思います。

アート(芸術・美術)と聞いて、ピカソやゴッホが描くような絵画作品を想像してしまったり、上手な絵を描くとか、良い成績を取るための作品作りをするものと捉えてしまったりすると、アート教育に対しても抵抗を感じ、自分には無理と思ってしまうのかもしれません。

私自身は、幼少期から絵を描いたり、ものを作ったりする創作活動が好きで、幸いなことに学校での美術の授業も好きでした。別の機会でも触れたいと思いますが、特に高校時代の書道の授業をターニングポイントとして、アートへの考えが広がるという体験もしています。

私は、アートを無限の広がりを持つ創作活動だと考えており、STEAM教育の「A」については、次の2つの力を育む教育と捉えています。

①独自性(オリジナリティ)…自分なりのものの見方を持ち、自分なりの価値観に従うことができる力

②創造性(クリエイティビティ)…創りたいものをイメージし、どうしたらそれが創れるかを試行錯誤し、形にする力

以上の通り、STEAMの「A」が独自性と創造性を育む教育であると定義したうえで、私自身はSTE「A」M教育を促進していく立場でありたいと考えています。

3.「A」が重要であると考える理由

私が「A」の要素を大切だと考える理由は、大きく2つの時代背景にあります。

①知識をどう活かすかが重要な時代
まず一つ目としては、現代が、知識や技術を「どう活かすか」が大事な時代であるということです。ネットの発達で誰でも簡単に知識を得ることができる時代には、それをどう使うかで差がつきます。

知識や技術を応用させるときに、自分独自の視点を付け加えたり、発想を広げたり、自分がイメージしたものを創造するために、アートの素養が求められると考えます。

②視覚情報が最重要の時代
もう一つが、現代が、視覚で情報を伝えることが最重要な時代であるということです。見渡してみると、私たちの生活はたくさんの視覚情報に溢れています。ここ数年は時にinstagramやtik tokなどの浸透で、よりビジュアルで訴えることの需要が高まりました。さらにはどんな商品でも機能が良いことは最低条件。購入の決め手としてデザインが大切な時代にもなりました。

このように、ビジュアルでどう人々の感性に訴えるかが重要な時代において、アート教育の担う役割は大きいと考えています。

4.表現することの喜びを知っていないと手段は活かされない

ここまで、
・STEMとSTEAMは「A」を含むかどうかの違い。正解不正解ということではない
・「Art」をどう捉えるかがポイント
ということを書きました。

数年前から、ビジネスの世界においてもアート思考やデザイン思考に注目が集まっている風潮からも、今後はSTEMよりSTEAMの方がより一般的になっていくでしょう。

私には、子どもたちに対するプログラミング教育が流行り始めた2015年頃にもずっと考えていたことがあります。それは、プログラミングというのはあくまでも手段であって、大切なのはそれを使って「何を表現したいと思うか」なのでは?ということです。

そのため、まずは、手段に囚われず、表現することや創ることそのものの楽しさや喜びを知っていることが大事なのではないのか、ということを考えていたことから、STEM教育からSTEAM教育が派生した時には、すんなりとその流れを受け入れることができました。

5.STEMとAは共存可能

少し話はそれますが、もう一つ、私がアートについて考えることがあります。それは、自然こそ最高のアートであるということです。

自然の中には、なぜ神様はこんなに美しい物を造ったのかと思うほど美しい光景があります。文明が今ほど発達していなかった古代において、芸術の始まりは人間が自然を美しいと思ったことのはずなのです。

科学とアートを相反するものだと考えている人も多いようですが、私の知り合いの中には、科学とアート両方に精通している人は多く、私の大学時代の恩師の一人である教授はシェイクスピアを生物学的に読み解くというユニークな本まで書かれています。

さらに、私が学生時代に所属していた書道サークルには、理工学部の学生が多くいたのが印象に残っています。今思えば、彼らの中で科学とアートを結びつける何か理由があったのかもしれません。

他に、スティーブジョブスがカリグラフィーに魅了されていたという話も有名かと思います。

日本では、理系文系を分断してしまう文化があるため、科学とアートは全く違った分野のもののような印象になってしまっていますが、改めてSTEMとAの共存は可能だということです。

6.アート教育をかたく考えすぎないこと

教育に携わる方の中にはアート教育にアレルギー反応を持つ人もいるようですが、少しかたく考えすぎなのではないかな、と思います。なぜなら、多かれ少なかれ誰しも必ずオリジナリティとクリエイティビティを持っているはずだからです。

何より、自分が絵がうまく描けることと、人の独自性や創造性を伸ばすことは異なるものだと思います。

子どもたちは生まれながらの科学者でありアーティストです。機会とヒントさえ与えれば、自分の力でどんどん工夫しながら作品作りをしていきます。

教育者としては、作品の作り方を手取り足取り教える必要はなく、子どもたち一人ひとりの個性を潰さないよう、声がけとサポートをしていくことがもっとも大切な役割なのだと考えます。

サポート宜しくお願いいたします。これからも子供たちの笑顔のために頑張ります。