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ずっと変わらず好きなもの、変化する自分との付き合い方

私は洋服が好き。
仕事もずっとアパレル業界に身を置いてきた。

その原点て何かな?って振り返ってみると、子供の頃、紙の着せ替え人形(昭和だよね〜)が大好きで、たくさん集めていたなーと。

あれ、紙だから、いろんな種類持ってたところで、人形のポーズが違えば着せ替えできないんだよね。体格が同じくらいでも、肩の向きとか、手の向きとかで、違う子の洋服は着せられない。
似たような形の人形に絞って集めたりもしたけど、やっぱり違う子の服はぴったりとはいかない。

子供ながらに、この紙の着せ替え人形から学んだ事はあったなと
改めて思うんですよね。

しかし気の合わない父親には

"服に気を取られるのは
頭の悪い人間のやる事だ"

と、私の宝ものだった紙の着せ替え人形を捨てられた。
その事は忘れられないし
自分を押さえ込んでしまうきっかけとなり
その後は洋服に興味ありありなのに口に出すことはできなくなったっけなぁ。

母親にも

"洋服は可愛くて細い人しか興味を持ったらダメ
あんたみたいなブスでデブが着飾ったって、笑われるだけだ"

と追い討ちをかけられたことも忘れない。

このインタビューの中でも話したけど
中学の時の同級生がある日塾に私服で来て、それがおしゃれでね。
もうびっくりした。

どんな服かっていうと
私たちの年代にはもうほんとに懐かしいと思うんだけど

金ボタンの紺ブレ!
そう、80年代ファッション!

(どうやら今もまた流行ってるとか?知らないけど…笑)

中学1年生で、しかもド田舎に住んでて、周りは私服なんてスーパーで買うのが当たり前の中、もう、キラキラしてたよね。
噂で聞いたのは、やっぱり都会に出て、百貨店で買ってたらしい。
子供だったからよくわからなかったけど、田舎とは言え、良いトコの子だったのかなぁ。
それ以降も彼女の私服をたまに見れるのが楽しみで、ワクワクしたっけなぁ。

母親が言うように
デブでブスで田舎丸出しの私だったけど(まぁ、今も何も変わっちゃいないな!笑)
自分でお金を稼ぐようになってから、ほんとに洋服にお金を注ぎ込んできました。

田舎育ちにはファッション誌とかもなかなか手に入らなかったし、(週刊誌とか新聞とか通販誌とかしか周りにはなかった。本屋さんも近くになかったし。)たまに機会があって見る事ができても、環境が違いすぎてて、現実味がなかった。

東京に引っ越してきて
本屋さんですらキラキラに見えた。
当時はnon-noが1番好きで
モデルのはなちゃんのコーデを血眼になって見てた。
無いものねだりでね
私とは完全真逆のタイプ
はなちゃんて、ほんとは背が高いのに、全てが華奢で、むしろ小柄な人より小柄に見えるんだよね。そして化粧っけもなくて(いや、そういうイメージで)ナチュラルな仕上がりで、広いおでこに短い前髪、かわいくてね。憧れでした。(私は前髪が立って生えてて、しかもパカっと割れちゃうから、短くパッツンするのが憧れ中の憧れだった!)

雑誌でいつも洋服をチェックして、気に入ったものは取り扱い店舗調べて休みの日には買いに行く。

その頃は裏原、代官山に意味もなく毎週通ってたなぁ、笑

古着にハマったりもした。
生活が不自由なんじゃないかってくらい爪もギラギラの時期もあったし、笑
まつ毛のエクステでバッチバチの頃もあったし、笑
髪がピンクとか緑の時もあったしね。
今みたいにクリエイター作品が当たり前じゃない時代に、既にクリエイター系のTシャツとか、変なTシャツガンガン着てたし。
古いコンバース血眼になって探してコレクションしたり
買った洋服を自分で切ったり縫ったりして、とにかく個性というものにしがみつこうと無理もしてなぁ。

今は
何もしない、素の自分でいる、
と決めて生きている私だけど
こんな時期もあったんですよ。

お酒の失態も数知れず、笑
(今は一切飲まない)

でもよかったと思っていて
若い時の話だからね
しかも自分で稼いだお金でやったこと。

若い時にやり切ったなって。

年を重ねてからデビューする方が
色々メンタルを心配される場合もあるだろうから、ね。
今は落ち着いてるから、個人事業主として仕事をする上でも、良かったと思ってる。

そう、ある時、ぜーんぶやめた。
何もしない、素の自分でいると決めて、今に至る。
ヘアカラーもしない。
ネイルもしない。
メイクは最低限。
これにはアメリカ生活も影響してる。
実際はアメリカに行く前に気持ちの変化が起きて、そのままアメリカでの生活がスタートしたことで、自分のアイデンティティを再確認できた経験、ていうのかな。
旅行とかじゃなく、生活ができたのが良い経験だった。心の奥底まで染み込んだっていうか。アメリカ人の親友ができたのも大きいかな。彼女がまたナチュラルな人でね。ある意味変わってるのかもしれないけど、彼女はいつも彼女らしい行動と思考で生きてる。それが素敵だと思ったし、そんな彼女に自分の事を話して素敵だと言ってもらえた事は、自信に繋がったんだよね。

そんなあれこれ手放してきた私が、服が好きっていうことだけは、手放さなかった。
手放す気すらなかったし。
もうこれだけは心底好きみたい。
アパレルで働いたのも
ものづくりを生産の現場で見てきた事も
まぁ、色々あったけど
今も役に立ってるし
最後まで嫌いにはならなかった。
会社を離れるのはいつも人間関係で疲弊してって感じで、仕事が嫌いってことではなかったなぁと、振り返ってみても思います。

素の自分で生きると決めてから
自分らしい服に出会うまで
結構時間はかかった。
今、wafu.の服と
たかね裁縫所のパンツに出会えて
やっと
好きな服と似合う服がイコールにできたと感じている。
wafu.の服は、ISAMUさんと2人で着ることができるのもポイント。
店頭に立つ上で、2人のイメージが一致しているのは、大事だと思ってる。

今となっては懐かしいけど
30代から40代に差し掛かる時
自分の生き方とか
考え方とか
実際目で見て分かる抗えない老いの始まりみたいなものとか
化繊が肌に合わない感じとか
安さで買っちゃう量産品がすぐに飽きちゃう感覚とか
自分の内側も外側も
とにかくいろんな大きな変化を感じ始めてた。
そんな中
これまで着てきた服が突然違和感を感じるようになったというのかな。
今の自分とのギャップが出てきていると感じたんですよね。
だから何着ても納得いかないというか。
そう、似合う似合わないより、納得できなかったという表現が近い気がしてる。

服なんか好きなもの着れば良い

確かにそうなのかも知れないけど

身に纏うものであり
自分を表現できるものでもあると思ってる。
何を着るか
どんなものを選択するかって
自己表現だよねって思うと
とても大切な事だと気づく。
ファッションて
チャラチャラした浮ついたものじゃなくて、とても大切な意味を持ってる。

だから、似合う似合わない以外にも
大切にしている事を知った上で纏いたいと思うようになった。
どんなものづくりをしているブランドなのか
中の人達の思考とか、人柄とか
縫製技術もそうだけど
どんな想いを持ってるのか、とか。
私もものづくりをする1人。
そういう背景も意識して、自分の1着を選んで着たい、そう思うようになったんですよね。
wafu.は会社だし
たかね裁縫所はたかねさんが1人でものづくりをしてる。
とても静かな、ナチュラルな女性だと思っていたら、とてもロックな方だと知った時には、もう驚いたと同時に、さらに好きになったなぁ。
知ってさらに好きになる感覚って
いいよなぁって我ながら思う。

そしてシンプルを纏いながらも
私は今も色は好きだし
柄物も大好き。
だけどそれらへの"好き"との付き合い方にも変化を持たせる時が来たんだなと気づきました。

洋服は極力シンプルに。
素材と縫製と、自分に馴染むカタチを知ること。
納得するものを選ぶ。
大切にできるものを選ぶ。

そしてずっと大好きだった柄物は
バッグなど持ち物として付き合っていく。

そうすることで大人になった自分
鏡に映る自分と
昔から好きなものとの
温度差を埋める事ができ
精神的にも満足度が得られた。

これはHOLO HOLO BIYORIのものづくり、デザインの根底にあるものと同じ考え方。
そう、私の実体験からきている。

素材感と
プリント、柄物の面積
要はバランス
範囲は自分自身
頭のてっぺんからつま先
そして真ん中にある心
その"自分"という枠の中で
バランスをとる事。

可愛いもの
好きなものを諦める必要はないけれど
若い時と全く同じでは
自他共に違和感を感じることが少なく無い。

だからと言って抗うのではなく
今の自分にあった共存の道を探す
それも大人だからできる事なんだと思っています。

大人の楽しみ方。

Picture Bagも
大人にこそ
楽しんでもらいたいバッグ。
あの素材感
あの絶妙なバランス
大人の装いに合わせるからこそ
さらなる"面白味"がでる。

"麻袋をファッションアイテムへと昇華させる"

私が大好きなファッション
その一部としてPicture Bag達を提案することは、私の長いファッションとの付き合いがベースにあってのこと。

なんとなくで始めたことでは無い事
伝わると嬉しい。

次回は麻袋との付き合いを書こうと思う。

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