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不況=クレジットの喪失

激しい眠気に襲われる午後五時半。
仕事が終わり書斎に戻って、猫の部屋を片付ける。
自分の仕事が終わったら、掃除機をかけて今日の書斎の営業は終わりになる。

僕は書斎で仕事を始めると、ここにいるんだな、と安心して各々勝手に遊んだり寝たり、時に僕を呼んだりと伸び伸びし出す猫共が愛おしい。

マガジンにて、最近は僕自身が経済の一体何を見ているのか、について書いてきた。
ハウツー系として役に立つ程の事でも無いが、投資生活が成果を出している今、その考えを記述しておく事には何らかの意味があるだろう。

前回は通貨は中立的という言葉で表し切れない程の中立性を持ち、それ故に非常に曖昧である、というお話をさせてもらった。

故に、金額という数字を使って僕達が把握している生産性向上も曖昧であり、価値も曖昧である、という話だ。

生産性向上が曖昧であり、それを中心に取る債務周期の振幅状況は観測出来たとしても、その中央値の動向についても、やはり曖昧である。

つまりは、ありとあらゆる、僕達が見ている経済指標というモノの大半が実は恐ろしく曖昧なモノである、という結論である。
それでは一体、何を見て、僕は投資をしているのか、成果を出す根拠は何であるのか、という話を今回はしてみたい。

曖昧な通貨達

通貨の価値は曖昧で、言うなればカオスである、と前回も述べた訳であるが、今日一日で僕自身は為替取引によって今週一週間分の生活コストを稼ぎ出した。
さて、このカラクリについて明らかにしていきたい。

ありとあらゆる要素に影響を受け、通貨間でも相互に調整し合う現実の中で為替を予測する事など、不可能なのでは無いだろうか。
なのに、それで成果を出す、というのは一体どういう事なのだろうか。

僕の為替トレーダーとしての歴は5年になり、今の処負け越した事はない。
今年は株式動向が不穏的であった故にFXで生計を立てられるような運用を行なっている。

さて、カラクリのネタを明かそう。

僕は為替が読めない。

これは正直に明かしておきたい。
僕の知っている経済的理屈であれば、日本のインフレはとんでもない高水準となり、アメリカのインフレが収まるようになる。
そして金利差によってドル高になり、結果として、各国の通貨高はバランスの取れた均衡点を目指す事になる。

しかし、そうはならない。
通貨は通貨の仕組みだけに従うのではなく、ありとあらゆる価値に対して中立的だからだ。

そして、全知全能の神でもない限り、全ての要素を見渡す事など出来る筈も無く、精一杯大きな範囲の詳細な情報を手に入れようとしたら、投資家は調査費で赤字を出すだろうし、最も多くの情報を得た誰かが大きな資本をそこに投入したら、全てが台無しになる。

つまり、為替は読めないし、読もうとしても無駄だ。

チャートが読める、テクニカルで分かる、と豪語する人達の負けの累積額を確認して見て欲しい。彼らが勝てているのは勝ち越しているから、に過ぎない。
そして、多くの投資家が、その負け分のリスクを負いたくはないはずだ。
そして、彼らの大半は5年以内に姿を消すだろう。

この予測を立てる事は半年後の為替を言い当てるより容易い。

本題へ戻ろう。

為替が読めないのに、為替取引でどうやって利益を出すのか、という話だ。

結論を申し上げてしまおう。
実はこれは為替だけではなく、株式にも債権にも暗号資産にも言える手法だ。

僕が利益を得るのは信用によってである。

実は多くの事柄が曖昧ではあるが、信用だけはある程度具体化された姿を表す事が出来ると考えている。

通貨取引は信用と共に

具体的手法、判断基準について述べよう。
一般的なドル円相場の取引をイメージしたい。

一般的にはドルが上がるか、円が上がるか、を判断して、ポジションを取る。
まるで博打だ。
先述の通り、為替は読めない。

僕が見るのは、そこに提示された価値、そして、それを信用するかどうか、という判断だ。

米国は金利を引き上げる。つまりドルを預ければ高い金利をお支払いするという方針だ。
これは政策金利なので貸し先は米国にだと思っていい。

さて、米国にお金を貸したら金利を高くつけてくれる、という米国の約束を信じるべきだろうか。
僕は信じる。
少なくとも、僕が好き勝手にお金を使う事よりかは遥かに信用できる。

また日本銀行は金利を低水準で保つと言っている。
この約束を信じるべきか。
僕は信じる。
問題はいつまで信じるか、また、違う事を言った時、また違う事を信じるか否かを判断する必要がある。
少なくとも、今は信じている。

つまり、お金の貸し先は日本よりもアメリカになる。
これはドルが上がる事が読めるからではなく、日本とアメリカが提示した金利政策という価値を信じているからである。

また、それに絡む別の要素も信用するか否かを判断していく。
日本政府は再び、海外から観光客を呼び込もう、という。
これはある程度信用するが、岸田政権を安倍政権と比べてみれば観光政策に対しての信用度は劣る。
金利が低い、という事は、沢山お金を借りてください!という広告でもある。
そして、だからこそ、多くの人、企業、国がお金を借りる。
そして借りたお金は外貨に代わる。

つまり、日本銀行が信用されていると、実際は円安に向かう。
信用で考えると、実は世の中の一般論で言われている日銀の信用が減ると日本円は弱くなる、という理屈とは逆に動く。

実際、僕は「どう動くか」を考えずに「信用するか」を考えて投資を行っている。

不況=クレジットの喪失

僕の投資の見方を明かした。
これは僕にとって、普遍的なルールだ。

僕は会社を信用し、投資する。
どんな製品を売ると社会に約束しているか、どんなイメージを世界に提供するか、幾らの配当を払うか、などを信用するか否かで投資するか判断している。

上がるか、下がるか、というのは正直、二の次、三の次である。

そして、僕が恐れているのは、その信用による投資手法が通用しない世界、つまり、僕達がお互いを信用出来なくなる世界だ。

実際、僕は、その世界の鱗片を見かける。
世間ではそれを「サプライチェーンのボトルネック」などと呼んでいる。

つまり、モノが入ってこないのだ。
単純な話に戻そう。

僕達はコンビニに入る。
それは商品が陳列されていると思うからだ。
もし、コンビニに入っても商品が陳列されていない事が何回か続いたら、僕達はコンビニに入らなくなる。

つまり、「コンビニには商品がある」という信用を無くしてしまう訳だ。

これはモノが入ってこなくて、販売機会を損失し利益が縮小する、と言った問題よりも遥かに重い問題だ。
コンビニが気軽にモノを手に入れられる、という信用を失う事による事業の本質的価値に対する信用の失墜は非常に重い。

僕達は長らく、中国を世界の工場として活用してきた。
しかし、その信用はゼロコロナ政策によって裏切られた。

日本製品は品質が高い。
アメリカは成長を続ける。

このような信用が失われた時、信じた者が損をする世界がやってくる。

こうなった時、経済は本質的な価値を失い、僕の投資手法は通用しなくなる。

言い換えれば、僕は経済の本質的価値に投資してきているからこそ、収益を上げている。
僕が投資した事業も政策も前に進む。

経済の本質的価値は信用する事なのだと思う。

次回

僕は自身の投資手法において「何をみているか」を書いておきたかった。
そして、僕はありとあらゆる経済成長性や通貨価値やアノマリーやテクニカルは曖昧であり、自身が信用出来るか否か、を見ているのだと明言した。

そして、その手法が通用しなくなる事への恐怖を書いた。

これでもう充分ではある。

しかし、最後に僕は、もう一つのテーマについて書きたいと思う。

それは「情報流動性過多と価値の流動性低迷」というテーマである。
これは価値生産、投資、ロジスティクスに関連する経済的課題について、事業、自己開発、投資、全てに関連する僕の現状に対する課題意識について、である。

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