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なぜ旅をするのか?〜母の言葉より〜

私が初めて海外へ行ったのは、高校生の時でした。
当時は、夏休みを利用してホームステイのプログラムができ始めた頃で、まだまだ高校生が海外へ行くには、勇気が必要でしたね。

でも、なんとしてもアメリカへ行きたいと言う私の願いを叶えてくれた両親に、心から感謝しています。

それがきっかけで私は海外旅行が大好きになりました。

最初は、アメリカ方面、子どもが生まれてからはリゾートが多くなり、仕事も兼ねてヨーロッパへ行くと、その魅力にもハマってしまいました。

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(バルセロナ、サグラダファミリアにて)

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(パリ、モンマルトルの丘)

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(モネの睡蓮の庭・ジヴェルニー)

でも、今日はその旅の話ではなく、なぜ旅をするのか?を母が言ってたことを書きたいと思います。

人生の晩年になってから旅を始めた母

母は、明るく人との付き合いも上手く、友達も多い人でした。
でも、人生の半分以上を自営だった父の家業と姑の介護に費やし、自由はありませんでした。

そんな母が、旅行ができるようになってからは、友達と、親戚の人たちと、また私たちとも一緒にいろんなところに出かけました。

いやいやだと言いながらも父との二人で海外旅行も結構楽しんでいたと思います。

私は三人姉妹ですが、私が一番母と旅をしました。
私の息子も連れて、ハワイやパリ、ミラノ、ベネティア、バリ島など。

母は、物欲はあまりない人でした。
自営業だったので、経済的には良い時もありましたが、大変なことも多かったようです。

でも、「旅行は別」と言ってました。

ずっと持ち続けられるから

その理由は、旅の思い出は、ずっと持っていられるからだと。
確かに思い出は褪せないですよね。

でも、母はこうも言いました。

「もっと年をとって、寝たきりになったり、からだが動かなくなっても、あそこ行った時はこんなことあったなあって思えるし、楽しいやんなあ」

「旅の思い出があったら、いつでもまた旅ができるしええよね」

このように話していたことは、しっかりと母のものとなりました。

私の義母と母はとても仲良しで、二人でよく旅をしていました。
そして、義母が病に伏せ入院しているときにお見舞いに行くと、母が懸命に義母に
「お母さん、万里の長城覚えたはりますか?
あの時は、ホンマにおもしろかったね〜また一緒に行きましょね〜」と。
そうすると、弱っていた義母は、「そうそう楽しかったねえ」と笑顔に。

母は、自分が言ってことを義母にも一生懸命に使っていたのです。

そして、母自身が体調を崩したり、少しずつ認知症が進みはじめた時にも、旅の記憶はしっかりとして、よく思い出話をしていました。

写真のちゃんとアルバムに整理していた母。とても大切にしていて、それを眺めながら、写真のエピソードを話す姿を思い出します。

今では、母はもっと遠いところに行きましたが、自由に好きなところへ行ってるかもしれないですね。

モノは無くなったり壊れたりするけれど、旅の思い出は一生持続けることができるから、私にもいっぱいいろんなところへ行くように言ってました。

そんな思いもあるからでしょうか?私は旅好きです。
早くまた自由に世界中を飛び回れる日がくることを願っています。

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