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黒と赤の世界を深めて

秋が一歩一歩確実に近付いていると感じる季節になりました。
明日は、十五夜でお月見ですね。
私もお月さまを眺めながら月見団子をいただきたいと思います。

京都の樂美術館で、「日本の色ー赤と黒の世界」展に行きました。
陶芸のことは、以前お茶のお稽古の時に少し学んだ程度で、ほとんど知識はありません。でも、色からの世界観を感じてみたいとの思いで出かけてみました。

樂焼は、なぜ赤と黒なのか?

利休がもとめ、長次郎が生み出した樂茶碗ですが、その思想観を垣間見れたらと思います。

参考にした書籍の解説も入れながら、色として考えてみました。

赤は、日本の伝統色では、ハレの色としてあざやかな赤を指すことが多いのですが、樂茶碗の赤は、土の肌色。
土は、全てを受け入れて、また全てを再生します。
その土に火(命を吹き込む)を入れると赤の茶碗が出来上がるのですね。

そして、黒茶碗については、
黒は、全ての色相を闇で覆います。だから見えなくすると考えられ、どちらかというと西洋では否定的な意味で使われます。
ただ、日本(東洋)では、禅の思想から、黒は全ての色相を超越した黒であり、
黒は黒そのものを放下(ほうげ)したものだと。
この「放下する」というのは、執着を捨て去るという意味です。

ここから黒の深さを感じます。

全てを見えなくするのではなく、その「執着を捨て去る」という部分から、自分自身を呑み込み、姿形では捉えきれない世界観、心の奥底の閑寂を表したのではないでしょうか。

また、黒は他の色相を際立たせる役割があります。
茶の湯の世界でも、お茶の緑色が一層あざやかに引き立つのです。

冒頭に書いたお月見も光がない夜空だからこそ、月の輝きが増します。
星も周りが暗いければ暗いほど、私たちにその姿を見せてくれます。

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黒の世界が、他の色彩に命を吹き込んでいるのでしょう。

私には、なぜ樂茶碗が赤と黒なのかの答えを明確には言えませんが、利休が望んだ黒の「執着を捨てる」という意味には、それが本当の心の平穏。そして、本質に近付く。
でも、赤の意味である、やっぱり人は生きているから、次の役割をを果たす(全てを受け入れ全てを再生する)ことを考えるのが大切。
そのように感じます。

赤のところでお話しした、土の色というと、通常は茶色をイメージしますが、茶色は、赤〜オレンジに黒を混色すると出来上がる色です。
それを考えると、茶碗を作る土の色の茶色=赤+黒で、樂茶碗の色。
また、火の赤と炭の黒も茶碗ができあがるために必須の色。
なんだかそこに行きついてしまいました。


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