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涙腺HAZARD

3歳、4歳、6歳、9歳――。

さらに12からヒトツ刻みで24…25飛ばして、26。さらなる上は68、下は‘当歳'――っちゅーから…えっ、生まれたばかり!?

子女妻妾、総勢30余名の無念の血がココ…三条河原に染み込み、往時の鴨川を朱に染めた――。

慈舟山・瑞泉寺。

高瀬川流れる木屋町通と三条大橋架かる鴨川に挟まれ、新選組が名を挙げた池田屋騒動の現場が目と鼻の先…ンな、創建400年来の古刹。

今でも日がな街ぶらを楽しんだ後は、もっぱらこの古寺を横目に三条大橋…か~ら~の三条京阪駅…か~ら~の地下鉄で帰路に着く。

単館映画館に入り浸っていた中学時代辺りからも含めて指折り数えりゃ、それこそ何万回と目にはしていた瑞泉寺、だが…。

門前にぶら下がる〈七五の桐〉紋入り提灯が、わが母方紋〈五三の桐〉に似ていることに目を向ける程度の…ハイ、毎回スルー寺。

[豊臣秀次公之墓]と石碑建つも、中学通学路沿いの〈紫式部と小野篁の墓〉ほど、インパクトもなかったのが正直なトコロ。

まぁ、日常風景の構成要素たる寺のヒトツ…でしかなかったワケさね。

かくもバチアタリな呪骸(?)――‘愛想ナシ男'――に、ついこの間!

…ふふ、反転術式が作用した。

“…いっぺん、入ってみたろー”…ってね。

奇跡の気まぐれか、‘何か'を感じたか?

その日、人生何万+α回目かのスルー…直前、踵を返し――秀次の事蹟など何も知らぬまま、道草がてら門をくぐった。

途端、いやナンだろ…寺域特有の清らかな気は市井の諸寺と変わらぬものの――紛れて肌感したのは、‘無邪気爛漫'なる気。

なんだかね、昼下がりの公園で…コドモらが砂場に遊び、それを見守りつつおしゃべりに興じるママごんズ――の、実に LOVE&PEACE な‘アノ感じ'。

“…こんな‘ほわッ気'漂う寺だったのね” 

‘無邪気爛漫'――なる陽気を何とはナシに肌感しつつ、足はズイズイ境内奥へ。

[秀次公御一族の墓所]――行く手正面に見えてきた、縦書き文字。

方形墓域のズイッと奥に、デンと構える墓塔の威勢。石敷きの参道挟む両側にゃ、甲斐甲斐しく並び立つ小振り墓石が…ズラズラズラ~リ!

“ぅ、ぁ……”

――瞬間の、気マズさ!?

例の‘無邪気爛漫'なる気が、一瞬途切れたよーに感じたから…と言っておく。まぁ、すぐまた元通り漂い始めたのだどもー。

そう、ジョーレン集う喫茶店に、イチゲンがドアを開けた瞬間の耳目集中…みたいなアノ感じだった。

墓塔をカシラに、寄り建つ墓石の群。

“…ヤバいな、涙腺”

訪れた場の空気感に、涙腺HAZARDするのはコレで3度目――初開催回のルミナリエ、沖田が山南切腹の介錯をした前川邸…そしてココ、瑞泉寺は[秀次公一族の墓所]。

悲しみ起因ではなく…
せつなきけなげさに感応した、涙腺HAZARD。

この墓石群の主たちに、何があったのか。

しかして、帰り際…。

休憩所と思っていた上屋が、豊臣の黒歴史《秀次事件》の資料&寺宝の展示スペースだと気づき、しばし内覧。

“ほへ!?【秀吉≒ヒトラー】…的な!”――上屋の中で、既得の秀吉観が一変。

時の天下人――そのエグ過ぎる蛮行〈秀次一族公開処刑〉の顛末は、Wikiにでも任すが。

いかな武家のコドモとしながらも、粛々淡々――順に死を待つ覚悟の壮絶さよ。

人心狭量化真っ最中の甘っチョロげな現代ニッポンジンが失った、大切な心宝のヒトツだろうとも思う。

ヒト足先に屠られた主君・秀次の梟首を前に、次々斬殺される幼子、姫、若…ついでに老媼。

骸は河原に掘られた大穴へ、無造作に。石で塞がれ、殺生塚として見せしめに。

今は失われた殺生塚――いや、まさにその場所に…瑞泉寺本堂は建っている。

遊び盛りのコドモたち、さぞや痛かったろーなと思い馳せるも。

一緒に旅立った友だちと共に、武家の縛りからも解放され、この境内を遊び回っているに違いない。

計らずも肌感した‘無邪気爛漫'なる気がその証。

“なぁなぁ、今度一緒にアソボーぜぃ!次来た時ゃ、もうイチゲンぢゃないし、さっきみたく警戒しないでよー”

鬼畜のエゴをも浄化して、ケロリと‘無邪気爛漫'なる気を感じさせるコドモのけなげに――ああ合掌、涙腺ハザード。

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