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部下と上司とエトセトラ⑤

土用の丑の日

 「贅沢な悩みだ」と言われて27年、芳香は未だに鰻が苦手だ。
 家族はそれを知っているから、土用の丑の日は芳香が豚丼、父や義姉は鰻重を食べる。
 幸い、日常的に鰻を食べる習慣など備わっているわけもなく、芳香とて困りはしなかったのだが、それは突然やって来てしまった。


「何食べたい? わりと何でもあるよ」

 私用のため、夕方に最上と待ち合わせた。
 場所は浅草。パチンコやスロットだけでなく競馬にも精通する最上にとっては、勝手知ったる庭である。
 浅草寺周辺を軽く歩き回ると、頃よく夕食の時間帯だった。
 
「最上さんは何がいいんですか?」
「丁度、土用の丑の日だし、鰻とかいいんじゃないかなって」

 珍しく提案してきた最上に、芳香は思わず固まってしまった。
 と言うのも、いつもならこうした場合、行き当たりばったりで店を選ぶことがほとんどで、今のように、すんなり希望を挙げられることなど滅多にない。だからこそ、芳香には問題だった。

(……どうしよう。鰻苦手だって言い出せない)

「……たまにはいいですね」

 こうして思ってもないことを言えてしまうのは、職業病かもしれない。

「浅草で鰻と言えばここだね。ただ少し高い」

 そう言って、最上に連れてこられたのは雷門前の通りを少し行った鰻料理の専門店だった。
 最上の言う通り、店前のショーウィンドウに、並ぶメニューと値段を見る限り、牛丼屋に入るのと同じノリでは、とてもじゃ入れない。


 幸い、どれを頼むにしても、お新香と味噌汁は付いてくるようだったので、芳香はお品書きを見るや、迷いなく小の鰻重を頼んだ。
 一方で最上はと言えば、気にすることなく普通サイズ鰻重の定食を頼んでいた。

「小でいいの?」 
「金額的に手を出せないというか……」 
「そんなの気にしなくてもいいのに」

「美味しそう」

 重の蓋を開けると、香ばしいタレの香りに思わず、芳香は声を漏らした。

「この値段でこの味なら、頷けるよね」

 嬉々として箸を付ける最上に釣られるように、芳香も手を付けた。


 結果、中サイズにしておけばよかったと後悔する程度に、芳香は満足した。
 いつも鰻を食べる時にするように、お茶で流し込むこともしなかったし、そもそも苦手とする原因でもある、小骨っぽさも全く気にならなかったのだ。

 芳香が食べ終えるのを待って店を出る。会計は流石に割り勘にしてもらった。
 まだ19時にもならない時間で、お互いに翌日は遅番だったため、いつもの流れで居酒屋に移動して呑むことにした。
 その移動の折、最上が徐に口を開いた。

「どっか調子悪い?」
「え、何でですか!?」
「いつもよりだいぶ、食べるのがゆっくりだったから」

 途端に、芳香は力が抜けた。
 このどんな些細なことも見逃さない男に、隠し事など端から野暮な話である。
 芳香とて、最後まで隠し通せると思っていない。

「……実は鰻苦手なんですよ」
「え、そうなら最初から言えばよかったのに」
「だって最上さんから珍しく希望を出してきたから」

 最上は「そっか……鰻が苦手か」と繰り返し呟く。

「でも、おかげさまで克服できました」
「やっぱり高いだけはあるでしょ?」
「来年の土用の丑の日に期待ですね」
「克服してないじゃん」

 皮肉げに言うものの、どこかで芳香に無理をさせたと思っていたのか、最上が2軒目に選んだのは、焼き鳥がメインの居酒屋だった。

 

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