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部下と上司の膝栗毛⑪

最後の夏に

・舞浜陸
・舞浜海
・豊洲
・日本橋
・川越

 お互いに都合が合わず、一月ぶりに休みが被った日の前日。
 芳香が言い出すよりも先に、最上からそんなメッセージが送られて来た。

(これはまた魅力的な5択だこと……)

 箇条書きに列挙された候補に、芳香は唸りながら考える。


>豊洲ですけど、例のアートの奴に行くなら、お台場の方に行きたいです。

 思い当たる候補が1つしか思い浮かばず、そう返すと、数分後、「前日にチケット取れるかな?」と返ってきた。
 その間に、芳香も公式ホームページを調べていたから、そのままURLを送る。

>じゃあ、11時半に錦糸町ね。

 トントン拍子にお台場へ行く流れになったが、何故か待ち合わせが錦糸町。
 りんかい線やゆりかもめに乗るなら、二人の中間地点としては市ヶ谷や渋谷、新橋。百歩譲って秋葉原と言ったところ。
 だが芳香には検討がついていた。
 
(……水上バスで行こうとしてるな)

 一般的な生活をしていたら、交通手段に公共交通機関の次に、水上バスが並ぶことはないが、この男、舞浜からでさえも遠慮なくシャトルバスで帰る男だ。
 芳香も最上と出かける時にしか水上バスやシャトルバスを使わない。
 だが、今回に限って1つ思うことがあった。

(でもこれ、めちゃくちゃ歩くんじゃないか?)


「お姉さん、暑いよぉ、これ死んじゃうよ……」

 青空と新緑が映える階段を前に、最上が早くも愚痴った。
 お台場に着いて、近くの案内板を見た時から、昨夜の予感は当たっていた。
 完全にゆりかもめでないと、炎天下のウォーキングコース確定な距離だった。
 
「だから錦糸町でいいのかって、聞きましたよね?」

 端から予期していただけに、芳香は立ち止まることなく、そのまま階段を上がっていく。
 その間、後ろからひっきりなしに「暑いよぉ、疲れたよぉ、休もうよぉ」と子供のように愚ずる声が聞こえるが、気にしない。むしろ一段飛ばしで距離を広げる。

「今アイスコーヒー飲んだら、絶対美味しいと思う」
「終わったら近くのお茶カフェでも入りましょうか」

 階段を上りきると、絶望的なほど日陰のない遊歩道が向かう先に伸びていて、芳香もさすがに軽く目眩がした。
 



 目的の施設は、残り一月ほどで営業が終了するため、現在営業しているのはこれから行くアート施設と大観覧車だけだった。
 それに加え、周りは既に取り壊しが始まって一面瓦礫と更地という世紀末のような光景が広がっていた。
 平日ではあったが、世間では夏休みが始まっており、終了間近とだけあって家族連れや外国人観光客の姿が多く目立つ。

 【ボーダーレス】というだけあって、中はまるで迷路だ。
 それに加えて、館内は薄暗く、何度も同じエリアを彷徨いながら、各エリアを回っていった。
 その間、芳香は前を歩く最上のショルダーバッグのストラップを掴んで歩き、すれ違う子供に笑われることもしばしば。
 そんな中、アスレチックエリアまで来ると、大人でも楽しめるコンテンツがあった。

「後ろつっかえてるんで、早くしてもらっていいですか!」
「分かってるよ!」

 飛び石を歩いていくというものだが、その飛び石が柔らかいマット状になっているため、バランスをとらねばならない。
 二人の前にいた、子供や芳香と同年代の男女などはスイスイと進んでいき、あっという間に最上の番になったが、バランス感覚のなさが露呈した。
 かれこれ1つのエリアに10分ほどを要しており、最上が最後の飛び石に来るのを待つスタッフが可哀想になってくる。
 一生懸命、狭くて柔い足場に足を置く最上に、芳香はスタート地点から大声で急かすと、希に見る必死な形相で最上が返す。

「すごい全力でケンケンパしてたね」
「……おそらく高校以来です」

 先ほどとは違って、飛び石を模したマッピングが投影された床を歩くと反応するインスタレーション。
 足元が平面でも、最上は相変わらずヨタヨタした足取りで進んでいる。
 芳香はふと衝動に駆られて、スタッフにスタートの声をかけられると、床をケンケンパで進んでいった。だが、地面はマット状で予想以上に跳ねない。
 その結果、ゴール地点に辿り着く頃には最上よりも疲れ切っていた。

「前の人、後ろつっかえてます」
「お姉さんが早いんだよ!」

 大まかな内容を見て、芳香の中でとある思惑が浮かんだ。
 待機列の順番的には、先に最上がスタートすることになるが、そんな最上よりも先にゴールしようと思った。
 強度こそあるが、むしろさっきまで以上に足場の不安定な梯子。その上、他にも挑戦中の男女子供がいるため、足元は尚更不安定だ。
 案の定、最上は生まれたての小鹿のようなぎこちなさで足を動かしていく。
 数分遅れでスタートした芳香は早くも勘を掴み、親の補助つきで進む幼児や、悲鳴を上げるだけで一向に進まない女子グループを上手い具合に交わしながら、進んだ。
 途中、幼児を待たないと進めない箇所で最上と合流したが、今まで見たことがないほど切羽詰まった表情をしていた。
 そんな上司を尻目に、芳香は思惑通り、先にゴールする。

「最上さん、後もうちょっとですよ」

 口では応援しながらも、四苦八苦しながら板に足をかけていく最上を動画で撮影していた。

「……明日、筋肉痛だよ」

 情けない声を上げてゴールした最上を笑って迎えつつ、芳香は今撮った動画を最上に送った。
 いつもの仕返しだ。


「確かにラプンツェル……」
「『輝く未来』でも歌う?」

 この施設で一番有名なエリアを前にして、芳香が思わず口にした言葉に、最上はすかさず反応した。

「……それよりさ、あの二人、マジックミラーだって気づいてないよね」
「それかあれじゃないですか? 今インスタとかTikTokで出てる【うちらが一番可愛い】系のやつ」

 マジックミラーの待機列で、向こう側にいる、おそらくこれがマジックミラーだと気づいていないであろう女性二人が、鏡越しに自撮りをしている様子を最上と芳香以外の何人かが嘲笑する。
 その数分後、出てきた当人たちはやはりマジックミラーに気づいていなかったようで、小走りに後にした。



 暗い空間を歩き回り、出てきたのは夕方頃だった。
 およそ2時間強を中で過ごしていたことになる。

「もうすぐ無くなってしまうんですよね……」

  突然立ち止まり、感慨深げに観覧車を仰ぎ見る。
 この大観覧車は、母の生前、芳香が初めてお台場に来た時に両親と乗った、思い出の一つである。
 初めての観覧車でもなかったが、ここまで大きい観覧車にそれまで乗ったことがなかった。    当時、都心から離れた地に暮らしていた芳香にとっては【お台場と言えば、フジテレビか観覧車】だったから、大喜びで乗ったのを今でも覚えている。
 そんな観覧車も一月ほどで営業が終了してしまう。最後にもう一度だけ乗りたいのはやまやまだったが、入り口にある案内板の【ゴンドラ内の温度:33℃】の文字に、渋々退散してきて今に至る。
 
 「ガンダム見たい!」

 芳香の複雑な心中を知ってか知らずか、最上が駄々っ子のようにそう言うので、芳香は諦めて後にした。



「ユニコーンガンダム覚醒の金は激熱なんだぁ」
「実物を前にして確定演出口走るの、やめてくれます?」

 タイミングよく、変身演出の時間でしばらく二人で眺めることにした。

(初めて来た時はまだフジテレビの前にあったんだよな……)

 宇宙戦艦ヤマトに始まり、ロボットものに目がない父親の唯一の要望で、初めてフジテレビに訪れた時、実物大ガンダムはまだ初号機だったのを思い出す。
 機種の変わったガンダムの変身演出は、ガンダム初心者の芳香にとっても、興奮を覚えた。

(これだったら、お母さんも楽しめたかもな)

 初めて見る実寸大ガンダムに大興奮の父親を遠くから母親と眺めながら、「大きいねぇ」とだけ口にした母。小学校高学年だった芳香でも、母親が興味を示していないことは明白だった。

「……観覧車乗りたかった?」

 10分弱の演出が終わり、観客も疎らになってきたところで、前方でずっと動画を回していた最上が戻ってきた。
 自分の目的が済んだからか、そんなことを訊いてくる。

「そうですね。でも命を犠牲にするほどじゃないです」

 汗をかいてる時の体温に近い温度の中、15分弱は熱中症不可避である。

「家族と初めて乗って、乗り納めが俺ってなかなか責任重大だよね」

 意味深に笑う最上に、芳香は肩をすくめた。

「最上さんじゃなかったら、お断りですけどね」
「……褒め言葉として受け取っておくね、乗らないけど」

 そんな会話を交わしながら、ゆりかもめの駅へと向かっていった。

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