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部下と上司とエトセトラ⑦

恋人がサンタクロースだったら

 有線から流れてきた有名なクリスマスソングを無音で口ずさみながら、芳香はふと思った。

(ーー恋人がサンタクロースだったら、むしろクリスマス会えなくね?)

 クリスマスに予定がない言い訳には丁度いいな、などと暢気に思うのと同時に、今日明日と客寄せパンダよろしく多忙だろう男のことを考える。ただそれは恋人ではなく、上司だが。

 飲食店や競合店でもそうであるように、芳香と最上が働く店でも、クリスマスのイベントはあった。
 パチンコ店でクリスマスと言えば、女性スタッフがサンタやトナカイのコスプレをしたりするのが主流だが、この店は差別化戦略の一環として、客から依頼を募り、スタッフが【サンタクロース】になって、応募者の自宅もしくは、指定された場所まで届ける、いわゆるデリバリーサンタサービスを行っている。
 実際にプレゼントを届けるだけでなく、店内でサンタと写真を撮るなど、内容は可能な限り、多岐に渡る。
 応募者のほとんどが常連客なので、スタッフは指名制。女性スタッフが選ばれることもあるが、ほとんどは男性スタッフがサンタになる。         
 その中でも、最上サンタは毎年恒例とも言えるほど、人気があり、指名は後を絶たない。
 ホスピタリティーの最高峰とも言える某夢の国に通いつめるだけあって、そのサービス精神は社長お墨付きだった。

「――来瞳チーフ、25日さ日下店のヘルプ頼める?」

 1週間前のこと。
 月一の店舗巡回から戻った芳香に、現直属の上司はそう告げた。
 入社から3年ほど、最上や同期のミライと共に日下店で働いていた芳香は、昨年の人事異動で本社勤務になった。本当なら採用課に配属される予定だったが、感染症が蔓延する情勢的に新入社員の採用を取り止めた。その結果、社内研修や店舗イベントなどを受け持つ企画課に在籍する運びとなり、今に至る。
 
「陽性者出たんですか?」
「それもあるみたいだし、そもそもアルバイトが24.25日と来ないらしい。デリサンもあるのにな」

 昨年の今頃も人手不足により、サンタとトラブル対応にてんわやんわだったと聞いていたから、芳香は苦笑いを浮かべた。
 それに加え、この時期は割りと治安が悪くなる。酔っぱらいが入店してトラブルになることもしばしばだ。

「サンタ対応終わって引き継ぎ済んだら、直帰でいいから」

 相当な改修工事で構造さえ変わっていなければ、勝手知ったる店舗。芳香はさほど気負いしていなかった。
 ただ、久しぶりに最上と同じ職場で働くことがどうしたわけかむず痒く感じていた。
 そうして迎えた、クリスマス当日。
 電車とバスを乗り継いで、エデン日下店に着いたのはお昼過ぎだった。
 関係者ではあるものの、芳香はスタッフ通用口ではなく、店舗入り口から店内へ入った。テンキーのパスワードが変わっている可能性があったからだ。
 昨年の春まで居ただけあって、大理石のだだっ広いホールを歩いていく間、馴染みの常連客に何度も声をかけられた。

「来瞳ちゃんじゃない! どうしたの!?」
「どうも、こんにちは! お元気ですか、アオヤマさん?」

 制服姿しか知らない常連客は皆一様に、スーツ姿の芳香に驚いたようだった。

「今日はお手伝いで来ました。サンタさんも来ますからね」

 右手にした腕時計を一瞥すると、程々に会話を切り上げ、景品カウンターに向かう。
 芳香と入れ替わりに異動してきたらしい、初対面のスタッフに挨拶し、バックヤードの廊下を真っ直ぐ進んだ正面にある事務所へ入って行くと、そこには店長しかいなかった。

「お疲れ様です、来瞳です」
 
 そう挨拶をしながら、空いたデスクにリュックと脱いだばかりのコートを置く。
 既にデスクには、ヘルプスタッフ用のウエストポーチとインカムに繋ぐイヤホンが用意されていて、芳香は慣れた手つきで装着していく。
 本社からヘルプが来ることは、おそらく前もって日下店スタッフには知らされているはずだ、と思ったところで、装備一式を用意した人物に思い至った。

(今日は一番、忙しいだろうにマメなことで……)

「来瞳リ……チーフ、久しぶり。今日はよろしくね」

 異動後から変わった役職に慣れない様子の店長に、芳香は思わず笑みを浮かべた。
 この会社では、3年ごとに昇給試験の受検資格を取得できる。ただ前提として、勤務態度や実績の良し悪しが影響してくるものの、芳香はほぼ顧客票と店舗経営陣の推薦により、受検し、難なく合格した。
 勤続年数こそ、最上の方が上だが、実質的な同僚である。

「それより急で申し訳ないんだけど、17時からサンタのフォローお願い」
「あれ、サンタの補佐って主任じゃありませんでしたっけ?」
「サンタの代わりに還元器トラブルの応対してる。今日いる社員でホールは何とかなると思うから、サンタ応対行って」

 会話の最中にすっかり装備を身に付け終えた芳香は、無線の音量を確認しながら、店長の指示に頷く。

「了解しました。それまでは店内巡回とジェッター流しのフォロー行きますね」
「お願いします」

 ホールへ出る途中、洗い場で青と黒のタオルを濡らして、ポーチの大きく口の開いたところへ入れる。
 青いタオルは台周り、黒のタオルは汚れた所を拭く。同系店舗共通のルールである。

「本社の来瞳入りまーす!」

 ホールに入る前にインカムに一言いれると、すぐさま個々人から返答が返ってきた。

「おかえり、来瞳チーフ」

 一人だけそう答えた男がいた。顔を見ずとも、芳香には分かった。

「ただいま、最上チーフ」

 芳香がそう返した瞬間、インカム越しに呼び出し音声が響いた。スロットコーナーのメダル流しのようだった。

 パチンコ店のスタッフは多忙だ。
 久しぶりに会う常連客への声かけや玉詰まり等のトラブル、玉やメダルの流しの対応。はたまた台回りの清掃、おつかい、手薄になった景品カウンターの応対等。時には新規客にトイレや休憩スペースの経路案内もする。
 そうして時刻は17時。忙しなく動き回っていた芳香は、頃合いを見て、一旦バックヤードに戻った。
 すると事務所には既に、最上がサンタの格好をして、準備をしているところだった。

「どうも、サンタさん。サポートです」
「じゃあ、これ付けて」

 マスクの上から髭を付けているため、辛うじて聞き取れる声で最上サンタが差し出してきたのは、この時期お馴染みのトナカイのカチューシャと赤鼻がプリントされたマスクだった。

「着ぐるみじゃありませんでしたっけ?」
「いつでもサンタを置いて、トラブル対応できるように。還元器がまだかかりそうだから」

 経年劣化による運搬ベルトの断裂、ベルトを上がりきらなかった玉の回収等々。パチンコスロット店にありがちな、機械内での玉メダル詰まり、玉やメダルを台へ運搬する樋で発生する樋詰まりよりも厄介なトラブルの1つである。
 
「来瞳と同時に西条主任も居なくなっちゃったから、機械系強いのが居なくて困るよ」

 最上と同期で1つ役職が上の、西条宗教(さいじょう むねのり)。昨年の春、他店舗に異動した主任だ。
 理工学部修士号持ちにも関わらず、娯楽という娯楽全てに精通している元ヤンという、盛りだくさんな経歴の持ち主で【社内きっての論破王】と呼ばれている男だ。
 彼が日下店にいる間は、ほとんどの機械トラブルを担っていたが、残念なことに今では他店でその手腕を振るっている。

「最悪、途中でサンタさんに出張ってもらわないとですね」
「じゃあ、その時は来瞳サンタお願いね」

 基本的な台トラブルや対人トラブルは芳香とて対応できるが、島全体の稼働を担うものを一手に引き受けるのは流石に負担が大きい。
 しかし、遊技客としてはそんな問題など知ったことではないから、そうなった場合はそれがサンタ応対中であっても、一番信頼を置けるスタッフに頼らざる得ない。それは日下店だけでなく、どの店舗でも言えることだった。

「17時半からの人は、プレゼントを届けた後に、お孫さんと撮って欲しいってことだから、外に出るよ」
「私、今日電車ですけど……」
「カンノさんとこだよ?」

 最上がそう言ったのも、該当の常連客が日下店から目と鼻の先に住んでいるからである。
 人当たりのいい60代後半のご婦人で、よく夫婦で来店する。こうしたイベントにも必ず参加してくれる懇意の客だった。
 インカムとポーチを外し、トナカイの装備を身につける。生憎と徒歩だから、その上から店のロゴがプリントされたロングコートを羽織った。
 既に準備を終えた最上サンタの手には、白い布袋。その中には事前に預けられたプレゼントとお菓子の詰め合わせが入っている。
 芳香の準備が終わると、二人は人目を気にしながら、依頼主の元へ出かけた。


 直接訪問の依頼の後は、店内での撮影の2件。
 それらをこなして、全てのサンタ応対を終えると、最上サンタは先にバッグヤードへ戻っていった。
 芳香が一旦トナカイの装備を外してホールに戻った頃には、還元器のトラブルも終わっており、主任がホールを回っているところだった。
 この主任は、西条と入れ替わりに異動してきた、この店唯一の妻子持ちの男性社員である。

「来瞳チーフ、ありがとう! 助かった!」
「一応、まだ事務所に居ますので何かあったら呼んでいただければ」
「今日のサンタ終わったから、人員いるし、大丈夫だよ。報告終わったら上がっちゃって」
「了解です」

 芳香は軽く会釈をして、バックヤードに引っ込んだ。
 事務所のデスクトップPCを借りて、日下店のデリバリーサンタの状況を報告用のテンプレートに打ち込んでいると、着替えを終えたらしい私服姿の最上が入ってきた。

「この後、本社戻るの?」
「いえ、今日はこのまま直帰です……最上さんはもう上がりですか?」
「そう、サンタ残業だったからね」

 隣の椅子に腰かけてきた最上の様子に、芳香は薄々察しは付いていた。
 店長は早番勤務のため、既に事務所にいない。今事務所内には二人しかいなかった。

「じゃあ特別に、最上サンタが焼き肉をご馳走してあげるよ」
「そこ、選ばせてはくれないんですね……」
「クリスマスだからなぁ……どこも混んでそうだけど」

 ぶつぶつと文句を言いながらも、最上はどこか楽しそうだ。

「せっかくクリスマスなら、イタリアンで締めにクリスマスケーキ食べたいです、サンタさん」
「うーん、空いてるかなぁ……今日クリスマスよ?」
「それは焼き肉も変わらんでしょ……」
 
 芳香が具体的に言ってみせたのは、この店にいた頃、駅前に最上やミライとよく足を運んでいたイタリアンバルがあったからだ。

「ひとまず予約しとくね」

 当日のネット予約が可能な数少ない店だったが、幸運なことに予約は取れたようだ。

「流石サンタさんですね」
「一緒に出ると、何か言われそうだから駅前で打ってるね」
「程程にお願いしますよ」

 ヒラヒラと手を振りながら、最上は事務所を出ていった。
 再びPCに向き直った芳香だったが、そこでふと手を止めた。

(そう言えば、クリスマスは何だかんだで毎年最上さんと食事してるな……)

 サンタ業務の恩恵か業務の軽減化か、毎年この時期の最上は早番が多い。芳香も不思議と都合がつきやすく、新入社員の頃から毎年最上と焼き肉に行っている。
 何がどうして焼き肉なのかはわからない。いつもの外食と何が違うかと言えば、クリスマスらしくプレゼント交換をするくらい。
 毎月送られてくる最上のシフトと照らし合わせた時から、予感はしていて、芳香のリュックの中には最上に渡すつもりのものが綺麗にラッピングされて入っている。
 そう特別なものではない。かといって、堅苦しいものでもない。新人の頃は、相手が仮にも上司だからと、インスタントのスープやコーヒーの詰め合わせだったりしたが、今では個人的に出向いた中で、最上が好きそうな展覧会のお土産が多い。
 見返りもお返しも求めない。求めずとも、あの人の変化に敏い男は、芳香の趣味嗜好を正確に捉えてくる。

(あの人、パチ屋店員よりサンタの方が向いてるんじゃないか?……)

 芳香は少し口許を緩ませながら作業を続けた。
 


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