見出し画像

【掌編】迷路


 電車を降りる事にした。そこから歩いた方が早くたどり着けると思ったのだ。
 改札を抜けるとすぐに小さな店が並ぶ路地に出た。ぶらぶらと団地の中を進んで行く、何だかひどく間延びしたような、大雑把な造りで、三メートルほどの身長がある人間であれば丁度良いだろう。
 後ろから数人の男女が歩いてくるのに気付いた。
 「みんな駅の方で待ってるんだろう」坊主頭の大男がくわえ煙草で云った。
 「もう食べ始めちゃってるんじゃないかしら」和服の女が云った。やはり火のついた煙草を手にしている。
 彼らを先に行かせようと、歩く速度を落とす。自分も同じ一団と思われたくなかった。年齢も体格もばらばらだったが顔立ちに相似が見て取れた。親族なのだろう。どことなく品の無い顔立ちだと思った。どうしてそう感じたのかは解らない。葬式帰りなのか、黒ずくめの格好をしている。
 「こっちであってるんか」白髪の男が云った。彼だけに関西風の訛りがあった。入り婿なのかもしれない。
 「ほら、あれ見えるでしょ。あれに向かって歩けば良いの」先ほどの和服の女が云った。各階に一部屋づつしかないのだろう。白く細長い高層住宅が見えた。次第に彼らはずんずん進んで行って見えなくなった。
 再び高層住宅に目をやると、とある階の窓が開いていた。女が服を着替えているのが見えた。向こうがこちらに気付いた気がした。慌てて目を伏せて木陰に隠れた。しばらくして木陰から出ると、高層住宅は失せていた。
 声がしてふと立ち止まった。あたりに人影はない。

 しかし私は進み続けるしかない。
 どこからか、そう聞こえた。

 駅から離れていたつもりで、いつの間にか駅の方へと進んでいたらしい。
 電車を降りた時、もうすでに夕方だった。すっかり日も落ちた。数時間は歩いている。舗道を歩いていると、すれ違うように路面電車が通り過ぎた。線路でなく道路を走っているのだから路線バスと呼ぶ方が正しいのだろうが、パンタグラフのついたそれはどう見ても電車だった。車内には明かりが灯っており、家路を急ぐ沢山の乗客がいるのが見えた。
 小さな店の前には、それぞれ一人づつ客引きがメニュー片手に立っており、しきりに料理を勧めてきた。なるべく目を合わさないようにやり過ごしていたが一人の女店員に捕まった。向こうが料理を勧める前に云わねばと、駅への道を尋ねる。再び駅へ戻ろうとしていた。女は一瞬眉をひそめたが、また作り笑いに戻り、今の時間だと解りませんと言った。すると、向かいの店の客引きである眼鏡で小太りの青年が話に入って来た。
 「二つの路線があるんですが、路面の方はもう無理でしょう。どっちみち帰宅する人だけが使う、一方通行ですから」
 さっき見たのはそれだったのだろう。
 「もう一本なら急げば何とか、良かったら案内します」
 青年に礼を云って、案内してもらう事にした。店はいいのだろうか、これから忙しくなる時間帯ではないだろうかと思うが、思うだけで尋ねる事はしなかった。最初に道を聞いた女もメニューを抱えたまま、何故か着いて来た。 再び団地の中を抜けると、木の間にさっきの高層住宅が再び見えた。
 闇の中にあって、白さが際立っていた。
 揺れる木馬。あれは関係ない。

 隣の部屋から壁越しに話し声が聞こえる。聞いた事あるような気はするのだけれど、同居人でない事は確かだった。一人暮らしだから。
 隣の部屋に入ると、誰もいなかった。家具の配置が変わっていて、買った覚えの無い家電も増えていた。
 部屋の真ん中にはMDプレイヤーがあった。今さら使う事も無いだろうに。
 また話し声が聞こえた。今度はベランダの方からだ。ベランダに出るとやはり誰もいなかったが、声は聞こえた。どうやら隣人がだれかと電話で話しているらしかった。商談のような打ち合わせのような内容だが、飛び交う単語がことごとくでたらめのようなものばかりでさっぱり理解する事が出来なかった。しかし、それはさっき壁越しに聞いた声では無かった。

 汗でぐっしょり濡れた身体を起こして布団から這い出る。時計が示す時刻と空の明るさが不釣り合いで、日が延びたことを実感する。煙草に火を点けて、冷蔵庫にあった水出しの麦茶を飲み干した。
 冷蔵庫の上のインスタントコーヒーの空き瓶。数日前に部屋に迷い込んで来た甲虫を捕まえて、野菜くずと放り込んでいた。飼うつもりは無かったが、逃がすつもりも無かった。
 瓶の中で甲虫は丸くなって、死んでいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?