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力量をつける!? ~ないの? つけてないの?~

こんにちは! あたたけ です。

立場上?年のせいか?後進に指導をする機会が多くなってきました。
メンドーだという気持ちもなくはないですが、先達から教えていただいたことを少しでも繋げていければと考えているところです。

が、たまに?イラっとすることがあります。
ぶっちゃけ、『すごいですね!』と言われても困るんですよね!
『教える側がすごい!』という感想で終わるつもりなんでしょうか?
『すごいですね!』という感想には、『教わる側もすごくなるために、今、教育をしている』って返したくなります。
大事なのは『教わる側が理解できたか、力量が向上したか』ですからね。

先輩への忖度で何となく褒め言葉を口にしているだけかもですが、、、、
『相手がすごい』と言うことで『自分はすごくない、できなくても良い、力量を向上しなくても良い』と逃げているんじゃないかと思ってしまいます。
教える側が実際にすごい(≒仕事自体の力量が高い)としても、『最初からすごかったわけではない』と気づいているのかなぁと思うんですよね。

教える側がすごいのは、決して天賦の才ではありません(たぶん)。
大抵のすごい人は、人から学び、自ら努力してすごくなっただけなのです。
努力しても力量(+その先の成果)に結びつかないことはありますが、力量がある人は努力してきたのは間違いないと思います。
さらに、『学び、努力する』って誰にでもできますからね。
『すごいですね』の一言で、そこから逃げようとしていないのかなぁと不安?不満?になります。

言いかえれば、『今、あなたに力量がないのは、生まれ持った才能とかの話ではなく、単純に力量をつける努力をしてなかっただけ』ということです。
機会がなかった(≒外的要因)のかサボっていた(≒内的要因)のかはわかりませんので、全て本人の責任とは言えませんが。
少なくとも、『力量がない』ではなく『(自ら)力量をつけていない』という自覚を持たないと、『力量をつける』『学び、努力する』って進まないだろうなぁと思います。

そう考えていくと、『黄金世代』と言われるような、優秀な人材が多い特定の世代という現象も、『天才が多く生まれた世代』なのではなく、『一握りの天才はいたかもしれないが、身近な刺激によって継続して力量向上に取り組んだ世代』なんだろうなぁと思います。
結局のところ、『努力を継続した人が優秀』という身も蓋もない話になりますが、凡人にとっては良いことだと思います。
だって、生まれ持った才能がなくても、本人の努力次第で何とかなる(かもしれない)ってコトですから。

さてさて、『教える側がすごい』ということがきっかけの話でしたが、そもそも『仕事自体の力量』と『教える力量』は違うのもお忘れなく。
『仕事はできるけど教えるのは壊滅的にヘタ』という人もやっぱりいますからね。
この辺りがOJT(≒仕事の力量のある人が仕事をしながら教える)の問題点なんだろうなぁと改めて思います。

まぁ、そうは言っても『仕事ができる人』はわかりやすく尊敬できますので、教わる側も聞く気になる可能性が高いというメリットもありますが。

『仕事自体の力量がある人に教える力量をつける(≒OJTの向上)』と、『教える力量がある人に教育を一任する(≒分業の進化)』と、どっちが正しいのかは何とも言えません。
昔は『教育は専門の担当者がした方が効果的』と分業推しでしたけどね。
人材の『質』以前に、そもそもの『数』を確保することが難しい時代になってくると『専任者、スペシャリスト』よりも『何でも屋、ゼネラリスト』が現実的なのかもなぁと思うこともあるんですよね。
時代の変化には逆らえないということでしょうか。
てゆーか、こういう問題をDXで解決するのが、今の時代の流れですね!
年をとっても視野を広く、未知のことにも積極的に取り組みたいものです。

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ではでは。今回はこの辺りで!

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