見出し画像

写真撮影と自我を持つこと

最近は趣味の一つとして、写真撮影が入ってくるようになってきた。カメラのメカニックな感じが気に入ったということからである。また、簡単に綺麗な写真が撮れそうというイメージもあった。

そんなこんなで出かける時にはカメラを持ち歩くようになった。また、出かける機会もカメラを使うようになってから増えたように思う。出掛けては何か被写体を見つけたシャッターを切るということをしている。しかし、現実というのは厳しいもので、なかなか納得のいく写真というのは撮れない。それはなぜなのだろうか。

納得のいく写真とは、やはり、見た瞬間に「綺麗だな」と思えることだろう。そのような写真を撮るためには、どのようなことを考慮する必要があるのか。そこから、納得のいく写真を撮るための術を考えてみよう。

大事なのは、おそらくは何を被写体にして、何をフレームに入れ、何を入れないのか、そしてどのような構図にするのかだろう。まず、「これを撮りたい」と思った時、被写体が決まる。ここまでは難しくない。問題はその被写体を、どのように撮るのかだ。つまり、撮影時に、写真のタイトルとなるようなものが浮かんでいないと良い写真は撮れないのだ。写真のタイトル、テーマが決まっていない状態では、むやみやたらにシャッターを切っても、つまらない写真の山が生まれるだけである。

綺麗な写真を撮るために求められるのは、自分の考え、意志を持つことだろう。何かを見た時、印象論で「綺麗」とか「美しい」と思って終わりではいけない。なぜ、そのように感じたのか、その理由を少しでも考えてみる。また、自分の中の美意識のようなものを見つけ、それを磨いていくことが必要だろう。

哲学者になること。これが必要なのかもしれない。納得いく写真を撮るためには、とにかく多くの「美」に触れて、感性を養っていく。そして、常に考えているということが重要だろう。私にとって、最初は簡単に思えた写真だが、意外と難しさがあると感じている。

写真を撮るとは、現実を切り取ることではない。現実の一部を、自分の価値観に基づいて再構成することなのである。

サポートしていただいた場合、書籍の購入にあてさせていただきます。