見出し画像

映画「あの頃、君を追いかけた」

たまたま時間があって観た映画である。何の前情報もなく、ただ面白いかもしれないという理由で観た。結果として、良い選択をしたのではないかと思う。

前情報なしで観たため、あらゆるシーンが私の中の違和感を掻き立てた。この違和感が、本作をより集中して見ることにつながったのだろう。

以下、違和感を感じた点を挙げていこう。

1つ目は主人公の趣味である。主人公は拳法を趣味としているようだった。しかし、日本でこのような趣味を持った人物はおらず、それがすごく引っかかった。

2つ目。イベント順番がぐちゃぐちゃ。本作の主人公と主な登場人物は高校生である。ストーリー上の年齢も、高校生の頃を中心として、20代頃までを描いているように思われる。高校3年後半のスケジュール感として、1月の共通テストを皮切りに各種大学入試が始まり、2月、3月に大学ごとの入試が行われ、3月初旬から中旬に卒業式を迎える。しかし、本作では高校の卒業式後に、共通テストらしき試験の描写があり、イベントの順番が意味のわからないことになっていた。本作の監督は、「普通の高校生活」を送らなかったのだろうか、とか、それにしても調べが足りなさすぎるのではないかなどと思ったりした。

3つ目。服装に季節感がないのである。登場人物が大学進学を機に、街を離れるシーン。登場人物は半袖である。街を離れる3月は、まだ厳しい寒さの日も残り、厚手のコートが必要なこともある時期である。それなのに半袖なのは、どう考えてもおかしかった。

4つ目。学校の様子が日本的でない。教員が生徒に対してかなり厳しいのである。例えば、教科書を忘れた生徒に対して、授業中に後ろを向かせて授業を受けさせなかったり、不真面目な生徒にお目付け役をつけたり。

5つ目。卒業生の進路がおかしい。大学に進学して医者を目指す人、これはわかる。しかし、ある人は社長として巨大企業を率いていた。これを見て、流石に「???」となった。高校卒業から10年と経たないうちに巨大企業の社長などになれるものなのだろうか、と。

これらの違和感となる点を解消する術が一つあった。それは、原作が日本でない場合である。本作を観ている途中から、その可能性を強く考え始めていた。それで本作のタイトルで色々と調べてみたところ、原作は台湾であることが分かった。気になっていたことが一本の線でつながり、モヤモヤが解消されたのは良かった。

本作は台湾の方が実際の体験を映画化したもので、台湾では大ヒットしたそうだ。

原作は、おそらく事実にかなり忠実に作られていると思った。作中、合理的でなかったり、不可解な部分があったりするからだ。例えば、後半で地震のシーンが挟まる。ここに5分くらいの時間が割かれているが、なぜ突然ここに…?という印象を受けた。フィクションなら、このシーンは確実に削除されていただろう。

ドキュメンタリーは、事実を描写することが大事だろう。そして、事実は時として合理的でないことも多々ある。ストーリーが迂遠になることもある。それに対してフィクションは、作者による創作に依存する部分が大きい。そうなると、不可解だったり合理的でなかったりする要素は、視聴者からの非難を予想して、避けようとする傾向があるのではないかと思われる。

私の実感としても、現実世界というものは全く合理的には動かないし、不可解に思えるようなこともたくさん起こる。そのような不可解なもの、合理的でないものを描写しても認められる、許されるのがドキュメンタリーということかもしれない。また、現実世界とはそういうものであると伝えることが、本作のメッセージだったのかもしれない。

サポートしていただいた場合、書籍の購入にあてさせていただきます。