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「味」 -古びたビジネスホテルにて-

今年3月に新潟県柏崎市のビジネスホテルに泊まった。

いかにも田舎のビジネスホテルという少々古びた外見であったが、中は綺麗に手入れが行き届いており、ベテランの男性スタッフが丁寧に接客をしてくれた。

私は普段、旅行の際はゲストハウスに泊まることが多く、個室のホテルに泊まるということが久しぶりであったため、浮き立つ気持ちでチェックインを済ませ、部屋に向かった。部屋には小さな机とシングルベッド、壁に掛けられたテレビ、ユニットバスのみとシンプルで、まさしくビジネスホテルの部屋という感じであった。

部屋を見渡していると、ふとベッドのすぐそばに並んだ小さなボタンが目に留まった。始めは室内照明のボタンかな、と思っていたのだが、よく見てみるとそれはラジオのボタンであった。

「もしかしてこのボタンを押したらラジオが聞けるの?」

私は驚きと疑問を抱えながら恐る恐るボタンを押した。カチッ。
すると、ベッド脇のスピーカーからパーソナリティの穏やかな話し声が聞こえてきた。その声は普段よりも少しくぐもっており、時を重ねたビジネスホテルの雰囲気によく合っていた。

ボタンを押してラジオを聞く。ポータブルラジオや車でラジオを聞いている人にとっては何一つ珍しいことではないのかもしれない。しかしradikoのアプリでしかラジオを聞いたことがない私にとって、その行為は未知の体験であった。

いつもならばまずスピーカーと携帯をBluetoothでつなぎ、radikoのアプリを起動する。その後聞きたいラジオの番組名を検索し、ようやくラジオを聞く。聞き始めた時からradikoを使用していたからということもあるが、生まれた時からインターネットが身近にあるZ世代の私にとって、そうやってラジオを聞くことが至極当然であった。

だからこそボタン一つでラジオの世界と繋がれる、そのシンプルな行為があまりにも新鮮で衝撃的だったのだ。

昔はどの宿泊施設にもラジオが聞ける設備があったのかもしれない。
しかし、時の流れとともにラジオの人気が下火になり、こういった設備は姿を消したのだろう。このラジオのボタンだけでなく、機能性やスマートさが求められる現代に至るまで、多くのものが廃れ、利便性を携え姿を変えることで生き抜いてきた。

スマホやパソコンでラジオが聞けるようになって10年以上が経過した。
リアルタイムでなく自分の好きな時間に好きなラジオ番組を選んで聞ける便利さは本当にありがたく、今日も私はradikoのアプリを起動してラジオを聞く。

ただ、機能的でなく、スマートでないからこそ感じられる「味」は確かに存在した。新潟のあの古びたビジネスホテルでの、不思議な高揚感と安心感に包まれながらラジオを聞いたあの夜のことを、今も忘れられずにいる。

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