見出し画像

娘とちいさな王様

私には小学生の娘がいる。
まだ分散登校しているのだが、先週登校したときに、先生に助けてほしい事があったらしく、助けを求めたのだが、忙しかったようで、手を差し伸べてもらえなかったらしい。
それに似たようなことが何度かあったのだと、後になって聞いたので、これでは娘が先生への信頼を置けなくなってしまう、と思った私は、早速先生へ相談し、幸い、先生が即座に改善してくれた。今日の登校日は、娘が先生に助けを求めた際、待たされず放置もされずに対応してもらえたらしい。
「今日先生に伝えたいことがあったんだけどね、忙しそうだったから、『先生、あとでいいから、お仕事おわったらちょっと見に来てくれる?』ってお願いしたらね、先生が『いいよ、今見に行くよー!』って、すぐ来てくれたの。それがすっごく嬉しかったんだー!」
と満面の笑みで報告してくれた。娘の笑顔を見て、私もとっても嬉しくなった。


そうして今日の報告を聞いていたとき、もう一つ娘が話してくれたことが、私をはっとさせた。
娘は学校の校庭の隅の菜園で、キュウリを植えて育てている。今日畑の様子を見てみたところ、同様にキュウリを植えた他の子の苗は、すくすくと垂直にのび、添え木にからまってたくましく育っていたものの、なぜか娘の苗だけは、添え木を伝わず、横に這って伸びていたそうだ。しかもお水が足りなかったのか、他の子のキュウリよりも、弱弱しく、薄い緑だったそうな。
娘はこう続けた。
「ママ、でもわたしね、そんな弱そうなキュウリを見てもイライラしないし、がっかりもしなかったよ。どうしてだと思う?」
私は「さぁ、どうして?」と聞き返した。
すると娘は、またにっこり笑顔でこう答えた。
「だって、いま弱くて小さくても、ちゃんとお水をあげてお世話をしていれば、そのうち絶対大きくなるし、ゆっくりでも、いつかちゃんと実がなるでしょ?」
洗濯物を畳みながら娘の話を話半分で聞いていた私は、驚いて娘を凝視してしまった。
子供って、時折大人よりも深く、物事の真髄を理解している。
こういう瞬間、私は本当に、わが子に育てられているな、と感じる。

娘の発言をかみしめながら、最近読んだ本のことを思った。
アクセル・ハッケ作、『ちいさなちいさな王様』という本。

この本の絵を描いているミヒャエル・ゾーヴァが好きだからという理由だけで、内容も調査せずに買ったのだが、ほかのスピリチュアル本を読むのに夢中で、この王様は何か月も本棚に放っておかれていた。
それが昨日、ついに読む機会が訪れた。
きっかけは、読書会。友人がとある読書会へ参加するというので、ふむふむ面白そうだと思った私は、いきおいで参加することにした。なにか本を読まなくちゃ、と思い、本棚を探していたとき、王様を見つけた。
しかし当日になって、その読書会は延期になってしまったので、参加はできなかったのだが、奇しくも私はこのちいさな王様の話を読み終える機会を得たのである。
この本、装丁を見るからに、ただの物語の本だと思うだろう。私はそう感じた。
普段スピリチュアルや自己啓発ばかり読んでいた私は、まぁたまには純粋に物語を読むのも楽しいや、と思って読み始めた。
ところが、だ。
この本は、実に、じつ~に深い、スピリチュアル+自己啓発の本だった。
そして、私が現在信じるに至っているスピリチュアル理論と、全く同じことが書いてあったのだ。
簡潔に要約すると(といっても私は要約が大の苦手)
主人公の人間の、部屋の壁のなかにちいさな王様が住んでいて(王様の主食はグミベアー)、ちいさな王様は生まれたときは大きく、普通の人間サイズで、最初からすべての知識を持っているが、年を取るごとに徐々に知識を忘れていき、その代わり想像力がついてきて、でも体のサイズはどんどん小さくなっていき、ゆくゆくは見えないほど小さくなってしまう。
主人公の人間は、この、すでに小さくなってしまっている王様の想像力に刺激され、自分が見ている現実を違う角度で見るようになる。
とまぁ、そんな話。

「おれはな、おまえたちが、どんどん大きくなっていくっていう話は、やっぱり本当はちがうのではないかと思う。おそらく、単にそう見えるだけなのではないか、とな」
「どうしてそんなふうに思うんだい?」
「実は、おまえたちも、同じように大きいところからはじまっているのではないだろうか」
王様は続けた。
「お前の話が、事実だとすれば……。おまえたちは、はじめにすべての可能性を与えられているのに、毎日、それが少しずつ奪われて縮んでいくのだ。それに、幼いうちは、おまえたちは、知っていることが少ないかわりに、想像の世界がやたらに大きいのではなかったかね? どうしてランプに明かりがつくのか、テレビの画面に映像がうつるのか、理屈がわからないから、想像しなくてはならなかった。それに、木の根っこの下では小人たちがどんなふうに暮らしているのかとか、巨人の手のひらの上に立ったらどんな気分だろうか、などということも想像していたのだろう。だが、やがて、もっと年とった者たちが、ランプやテレビの仕組みについて教えてくれる。それから小人も、巨人も、実際にはいないことを知ってしまう。おまえたちの想像の世界はどんどん小さくなっていき、知識はますますふくれあがっていく。そうじゃないのかね?」

まったく同感だ。私たちは知識を得るかわりに、想像力をなくしていく。体は大きくなっていくけれど、魂は小さくなっていく。王様はそれを言っているのだと思う。
上記のほかにも、いろいろと目から鱗なことが、王様の口から語られていく。ぜひ読んでほしい一冊だ。

今日、弱弱しいキュウリの話をした娘の姿と、ちいさな王様の姿が重なった。
大きな想像力と大きな可能性を持っている娘を、知識という名の枠組みに延々と押し込め続けることでどんどん小さく縮めてしまうことがないよう、親として大切に育てていきたい。

タイトル画像は、講談社『ちいさなちいさな王様』より。
王様の世界では、はじめに子供がどうやって生まれるか、を説明している絵。素敵。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?