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『すずめの戸締まり』 映画版と小説版の差異から考察してみる

皆さんはじめまして。
今回が初noteへの投稿となります。
よろしくお願いします。

今回は新海誠監督最新作の『すずめの戸締まり』を映画館で鑑賞し、小説版も読了しましたので、両者のある違いについて書きます。

映画にはあって小説にはないシーン


『すずめの戸締まり』本編の内容に触れます。
ここからは映画(または小説)をご覧になってからお読みください。

その違いとは、物語中盤、鈴芽が入院している草太の祖父羊郎に会いに行ったシーンです。
羊郎との会話の中で人が通れる後ろ戸は生涯に一つと教えてもらった鈴芽は病室を去ります。

ここまでは映画版と小説版ともに同じ内容になっていますが、この後の展開が少し異なります。
映画では、窓の外にサダイジンが現れ、それに気づいた羊郎がかなり丁寧な言葉遣いで話かけます。
うろ覚えで間違ってるかもしれませんが「お久しゅうございます。とうとう抜けてしまわれたか。あの子について行かれますか。よろしくお願いします」というセリフだったはずです。
小説版ではこのシーンは存在せず、鈴芽が病室を去った後はすぐに草太の部屋へ行き、着替える場面に移ります。

小説は令和4年8月5日初版発行、映画は同年11月11日公開なので、世に出たのは小説→映画の順になります。
完成したタイミングも同様に映画が後であれば、このシーンは映画版で追加されたものになりますね。
あえて、小説版にないシーンを追加したということを考えると物語上重要なシーンなのではないでしょうか。(意味のないシーンならあえて追加しないはず)

このシーンから読み取れること

まずは単純に、このシーンから読み取れる事実を整理します。
「お久しゅうございます。とうとう抜けてしまわれたか。あの子について行かれますか。よろしくお願いします」というセリフ。

「お久しゅうございます」ということは羊郎は以前からサダイジンを知っていたということになります。
「とうとう抜けてしまわれたか」からは、以前に要石として刺したのは羊郎?
もしくは抜けそうだと知っていた?ということがわかります。
「あの子について行かれますか」からは、サダイジンは環と口論するシーンで鈴芽の前に現れますが、実はこの時点でサダイジンが鈴芽についてきていたことがわかります。

この映画で伝えたかったことを考察する

来場者プレゼントとして映画館で配られていた『新海誠本』にはっきりとあるように、この映画は東日本大震災を扱った映画です。

前項の内容から、東日本大震災で出現したミミズを抑えた閉じ師は羊郎であり、その時使用した要石がサダイジンだったのではないかと考えれば辻褄が合うように思います。

前回の震災で活躍した羊郎は入院しており、これからは震災が起きても閉じ師として活動することはできませんが、鈴芽と草太であれば立ち向かえるのではないでしょうか。実際に東京に現れたミミズや、常世にいたミミズも抑えています。

作中ではサダイジンのセリフはほとんどないことから、私はサダイジンは要石であると同時に震災の記憶を象徴しているのではないかと思いました。
その記憶は羊郎から草太と鈴芽へと世代は交代しても記憶は継承され、防災に活かす、というメッセージなのではないでしょうか。
昔の人が災害による被害が出やすい危ない土地に恐ろしさを覚えるような名前をつけることは有名ですね。
たとえば、全国にある「蛇」とつく地名は土砂災害や濁流を蛇に見立てて、警告するためにつけられています。
こういった例も災害の記憶を後世に伝えている例です。

私は映画を観たとき、この羊郎とサダイジンが会話するシーンが妙に印象に残りました。ところが、小説を読むとそのシーンがすっぽり抜け落ちていることから違和感を覚えたのです。
わざわざ追加してるぐらいだから重要なシーンに違いない。

考察まとめ

自然災害は突然起きるものがほとんどですから、日頃の備えが非常に重要です。
そして、その災害が起きるかもしれない未来へ備えるのに最も重要なのは過去の教訓です。
私はこのことを強調するためのシーンではないかと思います。

後ろ戸を閉めることは閉じ師に任せ、まずは防災バッグを用意したり、避難場所の確認から、できることから初めましょう。

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