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私なりの語学学習のモチベの話

『言語を知らないということは、その言語を喋る人の心を聞くための耳がないのと同じ。』

去年の夏、私は単身NYで滞在した。

展示会とかをお手伝いしてたブランドの方は連絡が取れていたが、友達などそれ以外の繋がりはすべて現地で出会うしかなかった私が最初の20日間住んでいた家は語学学校のエージェントが『ブルックリンの治安悪いランキングでいうと1位か2位。』と言っていたヒスパニックの方達が大半を占める地区だった。

初のアメリカ一人滞在+Airbnbで借りたアパートメントの外鍵なしの一室という時点で若干ビビっていた私に追い討ちをかけるように街に出れば誰も英語を喋ってなくて、最初は身に迫る危険に気づけないんじゃないかとビクビクしながら近所を歩いていた。ただ街にいるだけの人のことが外国人である私にとっては怖く感じる存在だった。

でも、スーパーに行けば毎回女性にウィンクしてる荷物を預かってくれる所のおっちゃん(万引き対策のために入り口で他店での買い物袋を預けなければいけないスーパーがほとんどです。)がいたり、髪をピンクに染めた日には道のゆくいろんな人が私の髪を褒めてくれたり、携帯の充電器をテキサスのお知り合いの家に忘れた時は他の階の住人さんが親身になって貸してくれたり、

住んでいるうちに、危機管理も大事だけどビビりすぎて優しい事実を知らずにいるのはとってももったいない話だなーと思うようになっていった。

(そのヒスパニックの街の話を続けると金曜日は毎週そこらじゅうでパーティしていました。私は参加しませんでしたが、そこら辺の人が勝手にジョインしても良いらしいです、ローカル曰く、、)

高校で不真面目に学んだスペイン語がちょっと生きた時

そんなある日、メキシカンのテイクアウトをしようとお店でオーダーしている時にどう話しても私の英語をわかってくれない店員さんがいた。私の文法が悪いのか、発音が悪いのか、といろいろ言い換えて頑張っていたのだが、実は英語を喋れなかったのは店員の彼だった。その地区ではスペイン語が喋れれば英語がなくても働けたのだ。彼がいろいろ言って接客していたのも私には全く通じず、結局他の店員さんが助けてくれた。けど、いろいろ頑張ってくれた彼にお返ししたくなってしまって咄嗟に出たのが『グラシアス』だった。それが初めて高校で不真面目にでもスペイン語を勉強していてよかったと思った瞬間だった。

まだまだ私が住んでいた街について話したいことはたくさんあるが、私が言語を1つでも多く分かるようになりたいと思う理由の一つが一人でも多くの人の心を聞くためである。

英語もネイティブではないから、聞きたくても聞けない心がたまにある。それを一つでも多く聞きたくて、悔しいから、私は言葉を勉強するのである。


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