“加点方式”で生きてもいいんじゃない?
あ、早起きできなかった。−5点。
だめだ、原稿が終わらない。−10点。
はあ、夕飯つくれなかった。−25点。
学生を卒業した今もなお、自己採点で自分を縛りつけている。
今日一日、私はどれだけ頑張れただろう。
真っ暗な部屋、寝返りを打つと同時に、顔の半分まで布団にもぐり込む。
まぶたを閉じてすぐ、マルつけを再開した。
うそ、マルなんて一つもない。
だから「バツつけ」だ。
一日を振り返るとき、できなかったことばかりを悔やんでしまう。
本当は頑張れていることもあるはずなのに、バツの大きさが、マルをなかったものにする。
ネガティブな性格ではないと思っていたけれど、どうも私は自己肯定感が低いみたいだ。
どれだけ周りから褒められようとも「(私なんて、まだまだ)」と“愛”でもないムチを打ち、大きなプロジェクトを成し遂げても「あれは自分の力じゃなかったでしょ?」と言い聞かせる。
ただ、これまでは、それを悪いことだとは認識していなかった。
今でも、ある一定の自己肯定感の低さは、負けず嫌いな自分を焚きつけるうえでも、大切な資源になるはずだと思っている。
けれど、生きている限り、どうしたって苦しいときはやってくる。
すべてが嫌になって、投げ出したくなって、逃げ出したくなってーー
減点方式の生き方しか知らないままでは、きっと限界が来てしまう。
バツだらけで埋もれてしまう前に、小さなマルにすがる術を知っておきたい。
そう思っていた。
月一の面談で、お世話になっている会社の代表にふわっと相談すると、「加点方式でもいいんじゃない?」と言われた。
加点方式。
ああ、と思う。
「減点」の対義語は「加点」。小学生でも分かるであろう、単純明解で、覆しようのない事実に、まるで一生の気づきを得たかのような喜びを感じた。
できなかったことではなく、できたことに目を向ける。
あ、溜まってた洗濯物を干せた。+10点。
うん、電車で本を開いた。+5点。
よし、ちゃんと出社できた。+15点。
真っ暗な部屋、寝返りを打つと同時に、顔の半分まで布団にもぐり込む。
まぶたを閉じてすぐ、自己採点を再開した。
まぎれもない、「マルつけ」を。
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