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与は歌につれ

別に気にしていていなかった藤井風さんにハマってしまった
見事にあらわされた気分だった
私を

例えば「damn」
これは私の前職時代

今から約20年前
私は実家にいた頃 お茶を習っていた
始めたのは大人になってから
好きだった男に3回くらい振られて
その時
「お前 そんなに結婚したいなら花嫁修行はしてるのか?」
みたいなことを言われて始めたような気がする。

そして茶道はいつの間にか
私のターニングポイントと言っていいくらい大切なものになっていた

着物が板についていた友人(所作が美しいし着こなしも絶妙)の紹介(一見さんはお断りの先生だった)で始めたお茶

男社会にいてなんとなく女であることを封印しがちな私にとって
何もかも目新しく半年ぐらいは苦痛で苦痛でしょうがなかった
だけど紹介してくれた友達の顔もあるしとにかく耐えてた

当初苦痛でしかなかった私に対し
友達は”きっとハマるよ”
と言っていた。

その通りだった。
私は半年の苦痛を超えてハマっていった。
土曜日のお茶が心の憩いの場であった。

考え方や姿勢、
お軸・おはな・お香合・お茶碗・お茶・お菓子・仕覆・お炭の美しさ、
お軸や作法に含まれる意味や教養・芸術・しきたりで表される物への美
そこでの先生や生徒さんと過ごす時間 至福の時間だった

そうこうしている間に家業が傾き、社会に出る運びとなる
家もお金も失って、お茶もやめた。
ゼロスタート。派遣社員から。
コピー機が紙を吸ったと言って大慌てしているぐらい世間知らずだった

でもいつもお茶の精神が自分を支えてくれ
いつもお茶の思い出ばかりが思いだされたけど
社会で生きているあいだ
もうお茶もだんだん自分で立てることも無くなっていって
芸術や美なんてものも悉く打ち砕かれ
私は自分でお金を得ると同時にボロボロになっていった

好きなのもがどんどん遠く離れてく
そして立派だけれど
自分にとってどうでもいいものに囲まれている
そんな感じだった
はたからみれば羨ましい状況なのに
当の本人はさっぱり何にも感じない

だけど
社会で生きることも
自分として生きることも
両方できて一人前というか
この世はそれを統合してこそ

『damn』はなんかそんな終わり方で
自分を抱きしめつつ
社会で生きていくみたいな

そして自分を蔑ろにしつつ
社会で生きていくことをやめて
聞こえてきた歌が『grace』だった
そんな感じです。

Azusa K.さんの動画のチンナマスターように
私にとって今までの自分の首をかき切って
(今までのやり方を捨て去る、そして) 
この世を新しいこの与(自分)で生きます
(トカゲのように再生可能?!)



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