食べる、吐く。摂食障害。
食べられなかったり、食べてしまったり。
自分を痛めつけて、生きることが嫌になって。
そんな毎日でも、心臓は音を鳴らしている。
その音に耳を澄ませられるように。
願っています。
今日も生きる者に、幸あれ。
1.摂食障害について、話したくなかった
自分が辛かったという話を語っている時、嫌なドーパミンが出ているような感覚がある。心の奥底に、「辛かった自分を認めて欲しい、今の自分が完璧じゃないのはこんな過去があったからであって、自分のせいではない」と叫ぶ、弱い自分がいるのを感じる。疾患をもつ自分を商品化して、安売りしてる感覚だろうか。自分で自分を傷つけていた。
三年前、摂食障害について文章にしようと試みたことがあった。
当時は、ただ自分が救われるためだけに文章を書いていたように思う。そんな文章があっても良いとは思うが、自分の欲求を晴らすためだけの文章に、私は何の価値も感じられなかった。あの文章はありのままではなかった。
けれど、今なら滔々と語れる気がする。
過去への愛着はもうない。
余計な感情を介さず、強いフリもしない。
今の状態で、文章を書いてみたら、どうなるだろう。
意味を生み出せるかな。
読んでくれた人の心に、良い変化が起こってくれるかな。
そんな思いで、noteを開きました。
少し長いですが、読んでくださると嬉しいです。
2.病歴
・小学生 慢性的な外見への不満
小学2年生頃から自分の体型を意識しだす。水泳を週4でやっていたため、水着でいることが多かったからかもしれない。太っている訳ではなかったが細くもなかった。母親のスマホを借りては、筋トレ動画を研究した。顔の欠点も自覚しだした。自分の外見に対する不満が、うっすらと、常に、心にあった。
・中学2年生3月 拒食の始まり
コロナが流行りだし、学校が休校になった。「全てを自分でコントロールできる!」そう思ったのがきっかけだった。午前8時に起きておかゆを少々食べ、1時間半ランニングとウォーキングをし、帰ってからホットミルクを一杯飲む。12時半までに東進の高校数学講座を2コマ受講し、昼ご飯を食べる。午後は学校の課題をし、夕方にもう一度30分程のランニングをし、夜ご飯を少しだけ食べる。夜は筋トレ30分、日が変わる前に就寝。そんな生活をルーティン化させた。この生活の延長線上には、理想的な自分がいると思っていた。
だんだんと、朝のおかゆはキウイ半分に、ホットミルクは豆乳一口に、昼食の量は半分に、夕食は数口になっていった。夜ご飯の掟は、「姉よりゆっくり、姉より食べない」だった。昔から早食いで食べることが大好きだった私に対して、姉は食べるのが遅くお腹が空くという感覚もあまりないタイプの人間だった。そんな姉よりもゆっくり食べれば問題ないと考えたのだろう。勝手に自分で決めたルールに縛られた私は、思ったように食べられないことに苛立ち、食事中に泣き出すこともしばしばだった。ご飯は自分の分、強いては家族の分まで自分で盛りつけないと気が済まなかった。姉のご飯は大量に盛った。姉がそのご飯を減らそうものなら、私は食事することを放棄した。今考えれば、姉には本当に申し訳ないことをしたと思う。食事を作ってくれていた母にも。ただ当時は、一日のルーティーンと食事内容、カロリーのことしか考えられなかった。
体重計にも毎日乗った。中2冬頃に155㎝42kgだった体重は、中3夏頃には28㎏になっていた。身長は伸びなかった。初経は元々きていなかったが勿論来ない。
どんどん減っていく体重計の数値と、浮き出ていく骨を見るのが楽しくなっていった。制服のスカートがぶかぶかになっていくのも、少し出歩くだけで息が切れるのも、体育の授業で高跳びが40㎝も飛べないのも、血管が細くなりすぎて採血に1時間かかるのも、全てが美しく思えた。
もはや太ることなど出来なかった。現状維持か減少の二択しかなかった。
体はやせ細っていったが、心は元気だった。いや、元気ではなかったのだが、自分で自分をコントロール出来ている、そんな理想状態を手にしていることに酔っていたのだろう。いくらでも動けた。明らかに情報処理速度が落ちていたであろう脳みそでも、高校数学を短期間で全て習得できたのだから、相当狂っていたに違いない。
少しでもふらついたり、一瞬でも無表情でいたりすると、「大丈夫?」「痩せすぎだよ」「ちゃんと食べな」と言われる。それが嫌だった。元々心配されるのは得意ではなかったが、当時はそれがものすごくストレスだった。周りからの善意を無下にしている自覚がなかった。何も言われないために、元気さを取り繕った。
・中3秋 過食症、鬱の始まり
全てが途切れた。
母親と高尾山に登りに行った日だった。帰宅するなり、お菓子がストックされている棚の方へ足が向かった。ワッフル10袋とスナック1袋、その他もろもろを無心に食べた。
食べ終わった瞬間、涙がぼろぼろと溢れた。
今までの努力が水の泡になったことへの絶望と、
もう今までのようなストイックな生活には戻れないだろうという予感が同時に襲ってきた。
そこからというものの、食べては寝てを繰り返した私の体重は、160㎝66㎏程まで増えた。体重を測るのが嫌すぎて正確には覚えていないが、それはもう、笑えてきた。
「死ぬほど食べて死ぬほど寝てたら、身長伸びたし生理来たわ~笑」
こんなきついジョークを言うことでしか、絶望を紛らわせなかった。
このジョークに笑う家族に勝手に傷つき、自室で泣いた。
拒食のときは、自分の理想と現実が一致していたので、心は元気だった。
でも過食は違う。
常に自己否定していた。体が重くて朝起きられず、学校にも行けなくなった。文字を読む気力が起きず、勉強ができなくなった。自分の体を見るのが嫌で、お風呂にも入らなくなった。散財がひどくなった。SNSに依存した。パニックを起こして突然嗚咽することもしばしばだった。自傷行為もした。自室の壁を3時間見つめ、自己否定と懺悔、世界と自分への嘲笑を繰り返した。
いつからか私は、鬱病患者ということになった。
・今
2024.01.08で18歳になった。
摂食障害になってちょうど四年ほどになる。
過食と鬱も少しは落ち着いて、今は162㎝52㎏あたりだと思う。
痩せ願望はなくなっていない。
相変わらず希死願望もある。
人とご飯を食べるのもまだ苦手だ。
特に家族とのご飯は。
なるべく1人で食べたいと何度言っても家族は理解してくれないので、美味しそうに夕食を食べ、殆ど吐く。
そんな毎日を過ごしている。
3.何をもって、”治った”と言えるのか。
今、何を考えているのか。
摂食障害や鬱病のような精神的な疾患は、治る病気だとか治らない病気だとか、様々な意見が飛び交ってますよね。
私は別に治ろうか治るまいがどちらでも良いです。現にこれらの疾患をもっている私が意見して良いものかと迷いますが、”このような症状が今後一切無くなる”ということはまあないと思います。
でも、真っ暗なトンネルを歩いているように感じていた中2~高1に比べて、今はぼんやりとした灯火くらいはあるように感じるんですね。
それは、どこかのタイミングで、「この病気と死ぬまで向き合っていける、そんな自信がもてる」と確信したからだと思います。
私はこれを自分の鬱病の完治とみなしました。
疾患に抗うことをやめたんでしょうね。
諦めてしまったんでしょうね。
でも諦めとか虚無とか、一般的に”負”として分類される感情ってそんなに悪いものでもないんじゃないかと思います。
根源的な虚無感が、私を衝動的な死から守ってくれてる。
そんな感じがします。
まあ健康的とは言えないでしょう。
でも、死にたいは生きたいの裏返しだとか、食べたいのは生きたいからだとか、そういうしょうもない当たり前の事実を受け入れたことで、虚無りながらなら生きられてる気がするんです。
細々と。
4.最後に
摂食障害、なかなか治らないものですね。
相変わらず自分の体は醜いし。
周りにも当たるようになってしまうし。
周りに摂食障害の人がいる方は、少し気にかけてあげてください。相手のペースを尊重してあげるだけで良いですし、自分の出来る範囲で良いです。当事者は自分のことで精一杯で、なかなかその優しさや気遣いに気がつけないかもしれないです。でもいつかちゃんと気がつくと思うので。ゆっくり、辛抱強く見守ってあげてください。
いつでも味方が周りにいる訳ではないですから。
あなただって、もしかしたら一人かもしれない。
頼れる人もいなくて、壁を見つめているかもしれない。
私もそうです。
くそみたいに泣きましょう。
泣いているうちに
見たくない明日がまたきっとやってきます。
それに絶望して
涙も枯れて。
そしたら少し伸びをして、深呼吸してください。
それができたら、
ベッドを深く被って、また寝ましょう。
大丈夫です。
眠りましょう。
読んでくれて、ありがとね。
明日来
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