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あなたには「伝えたいこと」がありますか?


私は子どもの頃から日記を続けているし、
手帳タイムは至福の時間。
メモ魔で、何でも文字に残しておくのが
クセになっているから、
「3年前の今日何をしてた?」と聞かれても、
手帳と日記さえ見れば、
どこへ行き、何を食べたかくらいは
答えることができる。

それに、仕事柄
文章は常に書かなければならないし、
生徒に書き方を指導することもある。

ずっと書くことは習慣だったから、
取り立てて自分の文章が上手だと
思ったことも無かった。
ただ、卒業文集に担任としての
メッセージを書くと感動したと
言ってもらえて、
「思い入れがあった生徒達だもんなー」
と思うくらいのことだった。

最近になって、あなたの書く文章が好きだ
と言ってもらえることがあって、
単純に嬉しい気持ちと
なんでだろ?どこにだろう?
とありがたいような
なんだか不思議な気持ちがしている。

私にとって「言語化」とは、
頭の中のモヤモヤに輪郭をつけること、
その感情に名前をつけることだ。

例えば、
「分かってもらえなくて、辛かった」
と言う悔しさ。
「聞いてもらえなくて、心細かった」
という寂しさ。
「頑張ってきて良かったと思ったのに、
 涙しか出なかった」という喜び。

簡単に言うとこんな感じ。
大事だと思っていたから、
仕事でも、子育てでも
ずっと実践しているつもりだった。


3年前、
たくさんの困難を抱える生徒と接しながら、
仕事していく上で気持ちが
いっぱいいっぱいになった。
一度止まって考えたい、
そうしなければ自分が保てないと思い、
大学で一年勉強させてもらった。

学びの日々だった。
勉強って感動するんだと分かるくらいには、
学んだ。
具体的には、読み、考え、書いて、話し合った。

一年間の学びは、
私を「言語化の習慣化」と
「その思いを共有したい」へ導いたのだと思う。

時を同じくして、娘が不登校になった。


専門家として学びながら、
我が子にはうまく対応できない辛さと
情けなさを痛いほど味わう日々だった。
その時はまだ混乱していて、
その時の想いをうまくアウトプットできなかった。

自分の言語化したものを発信することは、
職場から始めた。
不登校の親を経験した私が、
こんな先生がいたら救われたのに
と言う思いを共有したかった。

私、文章がうまいでしょ?褒めて欲しい。
ではなかった。
分かって欲しくて、切実だった。

職場の中で、不登校になる生徒のことを
「あー、あそこの親は○○だもんね。」の会話に
狂いそうになる気持ちを抑えた。
いても経ってもいられなかった。
「やめてくれ。あんたに何が分かる。」
を飲み込み、保護者の苦しさを
聞いた立場として伝えることから始めた。
伝えたい気持ちは押さえられなくなり、
SNSで発信を始め、今に至る。

文章がうまくなってから、
世に出そうと思っていたら一生出せなかった。
発信、文章が上手さを知って欲しくて、
発信したかったわけではない。

「伝えたいことがある」これに尽きる。

言語化の目的は、
文章そのものがうまくなることではなく、
人に思いが伝わること。
たった一人でも、誰か胸に響けばいい。

「分かる、私もそうだった。」
「そうそう、これいいよね。」
「私と同じことを考えている人がいる。」
「親は(子どもは)そんな風に思っていたのか。」
「そんな考えもあるんだ。」

ケンカするときだってそうだ。
嫌いだからじゃない。
大好きだから分かって欲しい。
それこそが言語化する、発信する原動力である。

ただ。
言語化がすべてではない。

こう言ってしまうと、
元も子もないかもしれないが、
自分を表現する方法があれば、
言語化でなくてもいいと思っている。

自分の世界観や
自分の大切にしたい世界で
伝わればそれでいい。

それは言語化でなくても、
絵でも
料理でも
ファッションでも
インテリアでも
裁縫でも
メイクでも
スポーツでも
何でもいいのだと思う。

表現したい世界がないのは寂しい。
でも、きっとある。
見つからないとか、
気づいていないことはあっても、
「表現したいことがない。」はないはずだ。

やってみることでしか、
その世界は見つけられないのだと思う。
やってみては、
「なんか違う」を繰り返し、
「これかも?」を磨くしか、
自分の表現は見つからないのではないか。

是非、皆さんも
自分を表現してみて欲しい。

何歳になっても
「気になる」「やってみたい」の扉をたたいて、
好奇心の芽を育てていきたい。


ちなみに、私の言語化の手順はこうです。
①    何か事件、インプット、引っかかりがある。
②    心の中に浮かんだ「モヤモヤ」を書き出す。
  誰かに話してみる。友達に愚痴を
  聞いてもらうようにひたすら書く。
  (私には人には見せられない
   デスノートがあります。笑)
  これは早ければ早いほうがいいです。
  私はすぐに忘れて、何だったっけ?て、
  いつもなっています。
③    書くことに慣れたら発信してみる。
  これなら、人に見せてもいいかな?が
  やがて訪れる。
④    上手に伝えるために、文章を推敲し、
  話し方(間の取り方など)を工夫する。


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