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運動会では運動しなきゃダメなの?

シーツ兼用のベッドパッドと夏掛け布団を洗濯した。
通常の洗濯はリモートワークだった昨日済ませてある。
竿のスペースに限りがあるので、晴れが続くと洗濯的にはありがたい。
花粉が収まって、外干しが嬉しい。

今日、明日は、気温が高いという予報だ。
私は日傘(雨傘も)を持つ手が事故で不自由になっているので、初夏からは曇りの日しか出かけたくない。
仕事をせずに家にいるだけで充分、充分。
レースのカーテンを揺する風が気持ちいい。

近くの小学校では、明日は運動会らしい。
競技するほうも観戦するほうも、熱中症のリスクがある。
私の子供のころは、運動会は秋真っ只中だったように思うが、猛暑の真夏にオリンピックをやったり、この国の感覚はなんだかおかしい。

子供のころ、運動会ほど嫌なものはなかった。
遠足も嫌だったが、遠足には練習はない。
でも運動会は当日だけじゃなくて、何日も前から練習で拘束される。

小学校4年までは不登校だったからあまり関係ない。
5年生から中学校あたりは、そのタイミングで急におなかが痛くなったりした。
はた目には仮病、自分的にはストレス。

でもさ、私は早く帰って、ばあちゃんの世話をしなきゃいけないのよ。
いまみたいなしっかりした紙おむつはまだなくて、ばあちゃんは私が帰るまでウンコを我慢している。
彼女は、私がそのお尻の下に平べったいおまるを挿し入れるのを待っているのだ。
内心で「暇人にはつきあえないよ」と思っていた。
まあ、自分がたとえ暇でも、運動会云々には興味がない。

何が楽しいのかわからないのは、競技主体だからだ。
しかも全員参加という建前で、不得意なことも強制させられる。
競技は、運動の分野で輝ける子だけ出ればいい。

全員参加なら、運営も含めばいいと思う。
みんなでダンスを踊ったり走ったりじゃなくて、手先の器用な子は歓迎の看板や賞状や景品を作ったり、世話好きな子は熱中症で具合が悪くなっている人がいないか観客席を見回る役目でもいい。

応援だけでもいいし、なんなら配信して「家で応援」でもいい。
ニコニコ動画みたいに、「がんばれー」とか「おめでとー」とかコメントを書き込むのだって「参加」と認めればいい。

みんなで学校指定の揃いの体操着を着て、足並み揃えて行進?
北朝鮮かよ。

午前中だけになって、お弁当持参の手間がなくなってきたのはいいと思う。
私は、母の負担を増やすことは嫌だったし、よその子のタコさんウインナーとかウサギリンゴのお弁当自慢をされるのも面白くなかったし。
学校に来てまで、お弁当時によその家の家族団らんを見させられるのもしんどかったし。
それで気を遣われるのもまた面倒くさい。
同情して先生に一緒に食べてもらうのも、仲良しの家族の輪に呼んでもらうのも、逆にこっちが気を遣って疲れる。

人との差を見せつけて「あなたは劣っている」とか感じさせるんじゃなくて、みんな自分の得意なことやできる形で参加できるイベントでいいと思う。
だからといって徒競走で順位をつけないことは、何か方向性が違っている気がしてならない。


高校と大学の体育祭は、自主休暇。(まあズル休み)
日曜実施で、月曜は振替で学校は休みになるので、喜んで一人旅に出ていた。
授業の一環だから、出席せよと言われたけれど、そのころ私の求める授業は学校の外にあったのよ。
そのぶん、文化祭では運営に尽力して、学校や同級生には貢献したと思う。

嫌なことから逃げる大人になっちゃうとかいう「教育論」もあるけれど、いずれわかる。
どんなに逃げたくても逃げられないものがあることを。
闘うしかないときもあることを。
そのときに、立ち向かえばいいだけのこと。
そんなものに「練習」など要らない。

暑くなってきた。
午後は、たぶん冷房をつける。



読んでいただきありがとうございますm(__)m