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「根はいいヤツなんだから」は他人事

「根はいいヤツ」なんだからとか、「悪気はなかった」とかいうのが苦手なので、言われそうなケースは言われる前に極力逃げて、聞かずにいたい。

そうなった過程に「情状酌量」みたいな要素があることはわかる。
わかるならなお嫌だ。
だって、わざとじゃなくても人は傷つく。

優しい人たちはこぞって「ゆるせ」と言う。
人間は間違うものだ。
それはそう。
正しくてぐうの音も出ない。
私自身、間違ってばかりの人生だ。
でも、だから傷つけた人には、ゆるされなくていい。
わざとかわざとじゃないかは関係なく。

私の「根」は、誰にもわからない。
私自身にも。

ゆるすのだってつらいのだ。
憎み続けるほうがつらい、ゆるしたほうがラクとか言う人がいるけど、私は実感として違う。
宗教家と当事者は感じ方が違うと思う。
「こちらにすべき」と心の方向を無理やり変えるほうがずっとエネルギーが要るしストレスになる。

そういうとき「根はいいヤツ」「わざとじゃない」んだからと言われると、ゆるさない私の狭量を非難されてるように感じてしまう。
まあ、狭量は確かなんだけど、何もあなたに非難されなくても、と思う。

そうして。
「根はいいヤツ」「わざとじゃない」を持ち出して、寛容を解く人にとって、大抵それは他人事だ。
直接に不快感を与えられたことのない程度の薄い関わりの人が「あの人はいい人」と言うのだ。

ドラマとその感想を見て、ちょっと感じたこと。


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