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勝手につぶやき<光る君へ(第28回)>

★倫子

倫子に「帝のお好きなもの」を訊かれて、正直に「知らない」と答える女院。
「あなたは子らの好きなものを知っているの?」
の返しに、「母親なら知ってるの当たり前でしょ」とばかりに並べ立てる倫子。
こういうとこ!
私が、倫子をいまいち推せないのは。
脚本家も、それを狙っているのかもしれない。


★行成

彰子の「仰せのままに」の人形っぷりに、己の姿を投影し、同情のあまり「后にしてやってもよい」と言ってしまう帝。
この心の揺らぎにつけ込み、畳みかける行成。
「帝が下々の者と同じように妻を思うことなどあってはなりませぬ」
災害が続くのは神の祟り、なすべき神事がなされぬは神への非礼とまで言われては、彰子立后を承知せざるを得ない。

行成、字が上手いだけじゃない!


★賢子

子守歌代わりの蒙求は、英才教育のためではなく、漢詩がわかる女同士という仲間が欲しいまひろの思いゆえと感じた。
「いつのまにかおぼえてしまうのよ」というのは、わかる気がする。

「耳」は、人が死ぬ最後まで機能する機関だと医師から聞いた。
だから、意識がなくても最期まで呼びかけてって。
私は、最初も「耳」だと思っている。
「幼いからまだわからないだろう」と大人がたかをくくっていることも、潜在意識に刻まれるんじゃないかと。


★宣孝

道長の危篤の噂をまひろに伝えたのは、宣孝の度量や夫としての愛というよりも、秘密を共有する者の同志感だと思う。
秘密を共有している限り、夫婦としての関係は保たれる。
その安定を宣孝は求めた。
脚本家は、そのためにあえて「道長の子」という設定を採用したのではないか。


★道長

道長が倒れたことで、倫子と明子の二人の妻のマウントの取り合いが起こる。
これは、帝の一帝二后のエピソードに掛けているのだろう。

宣孝が、わざわざ子供が生まれたことを言いに来たあとでの心臓発作。
「もしや自分の子ではないのか」と道長が気づいたかどうか。
気づいたゆえの心労の積み増しであったかもしれないと想像の余地を残した展開。

「まひろ」の生霊?に対して思わず呼んだ名に、明子が「明子にございます」と答えたが、これが倫子なら、即座に「夫の不倫相手はまひろ!」という証拠になっただろう。
あえて明子に聞かせたところが、微妙に興味深い。


★定子

定子は帝を愛していたし、「彰子さまとご一緒のときは私のことはお考えにならぬよう」は真摯な思いだったと思うけれど、私ほどの腹黒いおばさんになれば、こういう言葉で逆に男の愛を独占できることを知っている。
たぶん、脚本家も知っていると思う。
素直な人は、ここは感動するところなんだけど。

その愛の深さゆえ、定子は、帝の前では緊張していたと思う。
愛する人を傷つけたくないし、周囲が自分たちの睦まじさを快く思っていないことも知っていたから。
だから、定子が真に寛げたのは清少納言の前だけだったのだろう。
高畑充希は、帝と清少納言に対する表情の違いを巧みに演じ分けていたと思う。

一帝二后は、朝廷のできごととしては大きなことだったろうが、時代的、歴史的なインパクトはそれほどでもない印象。
大河ドラマは、自分が教科書や年表で知っているできごとに、登場人物がどう絡んで、空白をどう埋めていくかが楽しみのひとつなので、若干物足らないように感じた。
それだけに、定子の死が際立った。
しかし、人の生き死にで視聴者の感情が盛り上がるのは当然なので、それ以外が脚本家の腕の見せどころ。
今後に期待したい。


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