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友達100人できません。

まどみちおさんは、とてもいい詩を書かれると思っているけれど、初めて耳にしたときからずっと違和感を持っている。
というか、反発している。
「1年生になったら」

100人で、富士山でおにぎり食べる?
勘弁してくれ。
富士山でも日光でもディズニーランドでも上野動物園でも3丁目西公園でも校庭でも体育館でも、おにぎりでもからあげ弁当でも絶品チーズバーガーでも、100人で食べるのなんか想像しただけでゾッとする。
そして、そんな一団に行き合った人の楽しいひとときが台無しだ。

一人で食べるのは子供のうちは淋しいかもしれないけど、仲良しの数人と食べるのが楽しいと思う。
100人の中から、どうやって誰を選んで、食べたり遊んだりしゃべったりするか、そこが大事。

100人でにっぽんじゅうを一回り?
やめて、やめて!
一人旅の邪魔をしないで。
群れて騒々しくしないで!

そもそも。
友達は量より質である。
あたりまえだ。
数いればいいってもんじゃない。
どんな人が友達かが大事だし、相手にとっても自分がどういう存在であるかが重要。

100人も富士山も比喩だよ、と言われるかもしれない。
そうかもしれない。
けれども。

作者の真意は知らないけれど、この歌詞からは「たくさん友達がいる人が優れている」みたいな印象を受ける。
友達ができない子が「友達できない私(僕)ってダメなんだ・・・」みたいな。

みんなに合わせること、群れからはぐれないことが最優先で、自分の意見を持たなかったり、考えようとしなかったりが当たり前になれば、異なる環境や考えの者を攻撃するか、あるいは無視する可能性も生まれる。
人数の多いほうが正しくて、少数派は排除されて当然みたいなイメージが、理屈ではなく出来上がりそうで怖い。

友達100人できません。
でも、あなたが好きな人の中で1人でも2人でも、あなたを好きだと思ってくれたらそれでいいじゃん。
なんで、新しい環境に向けて不安でいっぱいの1年生にそう言ってやらんのだ。

100人できることが前提の楽観性が、私はとことん苦手なので、毎年の入学シーズンにこの歌が流れてくるとつい耳をふさぐ。
子供相手の歌にいちいち突っ込むなよと言われることは承知だけど、子供相手だからこそだよ。
もちろん、新たな環境に入る大人にとっても。
いくつになっても、だ。

これは昨日のランチ。
美術館のカフェレストランにて。
桜を見たついでに、この美術館のランチが美味しかったことを思い出して8年ぶりに寄ってみたのだが、系列が「上野精養軒」から「ばんどう太郎」に変わっていた。
ちょっとがっかり。
ごめんね、ばんどう太郎。

オリジナルでとても気に入っていたカップも、チェーン店のものになっていて、こちらはちょっとどころかかなりがっかり。

これが以前のカップ。
経営母体が変わったのは2018年らしい。
いつもテラス席を選んでいるが、眺めのいいかつての庭は縮小され、大半が駐車場になっていた。
100人の団体も受け入れらるように、か?
さすがばんどう太郎。

今日は、月イチの心療内科通院日。
昨日期待外れなら、今日は別のところに行こうかとも思っていたが、桜には満足したので取りやめ。
帰りに、50年来の親友の誕生日祝いのプレゼントを買った。
コロナで自粛していたので、来週は約3年半ぶりに一緒に食事する予定。
数は少ないけれど、家族に恵まれなかったぶん、友達には質的に恵まれている。


読んでいただきありがとうございますm(__)m