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「本当の人生は破綻したところから始まるのです」と彼は言った。

作家の車谷長吉氏が亡くなったのは2015年5月17日のことだ。
訃報を知った私は、翌日のブログに、言いようのない喪失感を載せている。
名を「ちょうきつ」と読むことは、そのときに初めて知った。

恥ずかしながら彼の小説を読んだことはない。
読む機会も、その能力もなかった。
学校や会社で「いかにも本を読んでいそうに見えるけれど実は読んでいない人」を競ったら、トップ争いをすると思う。

いまはないが、夫がいたころは大手新聞をいくつか購読していた。
記事はほぼ読まず、大見出しと小見出しから概要を推察し、帰宅した夫に報告するのが日課だった。

「身の上相談」は普段はスルー。
でも、あるときたまたま目に留まった。
その回答者が車谷長吉。

高校教師が教え子の女生徒を好きになってしまった、どうしたらいいでしょうという相談だった。

答えは明解。

とっとと関係してしまえばいいのです。
非難され、職を追われて、あなたの人生は破綻するかもしれない。
しかし。
本当の人生は、破綻したところから始まるのです。
だから、破綻を感じたことのない多くの人は、人生がどういうものかを知らずに死んでいくのです。

言葉は違っているかもしれないが、そういう内容の回答だったと記憶している。
私は、その回答にひどく救われた思いがした。

何が破綻か、というのは、人それぞれだろう。
けれども、そこからが本当の人生なのだ、本当の喜びも満足も幸せも学びもそこからなのだという言葉は、眼前に立ちはだかる高い壁を飛び越す翼を与えた。

そのときから、車谷長吉は、私にとって特別な人になった。
かといって、それをきっかけに著書を手に取るかといえば、そういうわけでもない。
訃報に際して組まれた特集で、何を経験して生きてきたかをざっと知っただけだ。
私にとって、彼は作家としてではなく人生の破綻者としての価値がある。

何年かあとになって、死因が生イカを丸呑みして喉に詰まらせた窒息だったことを知った。

若い緑があふれる生命力に満ちた季節に、訃報を思い出すのも不思議なものだが、私にとってこの作家は、人生の終わりではなく始まりの象徴なのである。


読んでいただきありがとうございますm(__)m