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【エッセイ】見た目が悪い奴は中身も悪い奴

人は見た目で判断できるだろうか。

自分の考えとして一番有力なのは「人は見た目だけではわからないものだけど、往々にして見た目とだいたい一緒」である。

怖い見た目をしている人はだいたい怖いし、優しい見た目の人はだいたい優しい。
厳しさを必要とする世界や場面が多い人は怖くなるだろうし、穏やかに過ごせる時間が長い人が優しそうになると考えたら、なんとなく納得できそうである。

それはそうとして、僕には理解しがたいことがある。
怖い見た目の人が優しさをちょっと見せると「この人は見た目と違って優しい」となり、最終的に「見た目とは違って優しい」で定着するあの現象だ。
見た目で-10点の人が優しいことをして+5点されたとき、なぜか最終的な評価が+2点になる、みたいなことがある。
逆に普段優しい人が怒ったところを見せると「実はこの人怖い」みたいに定着してしまうこともある。
+10点のひとが怒ったら-5点なのに、なぜか最終的な評価が+1点みたいになる感じだ。

僕はそれに異議を唱えたい。

これはちゃんと自分なりに人間の物差しの中央点を決め、全員をその物差しを使って判断するべきだと思う。
-10点が+5点したら-5点。
+10点が-5点したら+5点。
反社会的な活動をしている人が自分には優しくしてくれた時、その人は本当に優しいと言えるのだろうか。
「優しい一面もあるが悪人」なのではないだろうか。

見た目と言えば、前職で関連会社の等級試験を受けた時のことを思い出す。
最後の面接で面接官が「君、部下になった人を怒れなさそうだよね」と言われた。
「は?」
である。
つまるところ良く言えば「優しそう」。
悪く言えば「言うべきことがちゃんと言えなさそう」ということだろう。

こう見えて僕は同期の中では「厳しい」という定評があった。
「多分同期の中で一番厳しいよ」と面と向かって言われたこともある。
つまり、面接官の人たちには、人を見る目がなかったと言えるだろう。
この人たちは僕の上辺の笑顔に翻弄されて、中身まで見抜くことができなかったのだ。

僕のように優しい見た目をしながら、怖い奴も存在している。
それが意味することは、人は見た目だけでは判断できるとは限らないということ。
そう。
最初と言っていることが変わっている。

もう一度言おう。
人は見た目だけでは判断できるとは限らない。

これは文章にも言えることだと思う。
引きのあるタイトルを付けて、引っ張ってきて中身が全く違うなんてことが多々ある。
そして、このエッセイもまた引きを少し強めにしておいて、中では違う事を主張している、見た目と中身が違う例である。

僕は見た目だけではなく中身まで見たうえで、ちゃんと公平に自分の中でジャッジできるようになりたいと思っている。

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