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【エッセイ】許せない人間は消す

あなたには許せない人間はいるだろうか。

どんなことでもいい。
些細な理由でもいい。
許したくない人間、嫌いな人間はいるだろうか。

僕にはいる。
正確にいうならば「僕にはいた」だが。
そう書くとまるで許したかのような感じになるが、別に許したわけではない。
かんたんな話で、自分の中でそいつはもう死んだことにしただけだ。

死んだヤツのことをいつまでも恨んでいたってなんの意味もない。
いくら憎んでも何も生まない。
だから、もし許せないことをを思い出したときは「でもあいつもう死んだから」「この世にいないから」で済ます。
思い込ませる。
それが精神衛生上、最もいいことだと僕は思っている。

でも、まだ接する機会がある場合は死んだことするのはなかなか難しい。
ではそんな時はどうしたらいいのかと言うと、「そいつは劣等種だからな」と見下せばいい。
僕より劣っているから理解不能な行動をするし、妬み嫉みで嫌がらせをしてくる。
でもそれは僕より圧倒的に劣っていることによる相手の劣等感の現れである。
「とても哀れな生き物だなあ」と思っていればいい。
「汚らわしい」と思っていい。
その人の事を完全に無視したらいい。
「わたしはあなたが嫌いです」とはっきり言っていい。

それを負け惜しみだの、逃げているだの、何の解決にもなっていないだのと文句をつける人がいたら、それこの的外れなのである。
人の事はそう簡単に変えられないし、復讐なんてそれこそ自分の人生をドブに捨てるのと同義だ。
自分の人生を嫌いなヤツのために捨てるのは惜しい。
人生は苦しみの連続だが、ちょこちょこ面白いこともある。
だから、重要なことは自分の中でそいつの事をどう処理するかということだ。

すでに亡き者として扱うか、下劣な存在として認識するか。
それだけでいい。
許せないヤツの存在なんか羽毛よりも軽い存在なんだと認識し、それに囚われない人生を楽しく送ることが重要である。
そして大切な人の事を思い浮かべる人生の方がよっぽど幸せなはずだ。

そういう意味で僕はすでに3人の人間を亡き者とし、1人の人間に「嫌いだ」という意思を示した。
後者の1人もそのうち亡き者になるだろう。

それでいい。
僕の人生のステージから消えてくれたらそれで十分だ。
ラインはブロックして、話題に出てきたら「死んだかと思ってたw」と言い、街中で見かけてもシカトだ。

許す必要なんてない。
でも囚われる必要もない。
許せない人間は頭の中から少しずつ消す。

こうやって僕は、明日も生きていく。

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