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【エッセイ】うつ病患者が物語で感動できない理由

うつ病になってからどんな物語を見ても心があまり動かない。

映画や漫画、小説を見てもそこまで感動をすることがなくなってしまった。
楽しくないわけじゃないが、感情移入が全くできないのだ。
元々僕は好きな作品は何回見ても楽しめるし、泣ける作品は何回見ても泣けるタイプだった。

映画なら「ミスト」で何度でも泣けたし、「最強のふたり」ではゲラゲラと笑った。
小説なら「楢山節考」で胸を苦しくし、「虐殺器官」では何度も感動できた。
漫画なら「スラムダンク」で心をアツくしたし、「鋼の錬金術師」で感嘆の声をあげた。

でも、最近はこれらを楽しもうとしても、心の奥にまでグッと入ってくることがない。
映画は表面的にストーリーをなぞるだけの上滑り感があり、小説は読むことがしんどく、漫画でさえ1話読んだら長めの休憩を入れないと息切れをしてしまう。

物語をあそこまで楽しめた自分はもういない。
それがなんだか悲しくあった。
自分の趣味を、好きな作品たちをもう二度と楽しめなくなったのであれば、この先何を楽しみに生きていけばいいのだろうか。

しかし、もしかしたらそれは絶望ではないのかもしれないと、ふと思った。

なぜなら、自分の人生に一番感動できるようになったから、創作物では感動できなくなったのではないだろうか、という可能性に思い至ったからだ。
自分の人生が一番スリリングで感動的でしんどいから、創作物ではかなわなくなってしまっただけなのかもしれない。

空が青いだけでどんなファンタジーな風景よりも感動でき、食べ飽きたはずの母の手料理の匂いだけでどんなグルメ作品よりも唾液が分泌され、ちょっとした不運がどんな悲惨な物語よりも悲しい。

それは現実を、自分の人生を、本当の意味で歩き始めたということなのではないだろうか。

さすがにポジティブに考え過ぎかもしれない。
でも、うつ病患者が正しく現実を認識していて、健常者の方が楽観的に世界を見ているという説もあるくらいだし、あながち間違いではないのではないだろうか。
だから僕は、うつ病になって物語が楽しめなくなったことを悲観しない。
自分の人生を一番感動的にすればいいだけだから。

そんなことを考えながら、僕は明日を生きていく。

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