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【エッセイ】同人界隈と生成AI

僕は趣味の一環としてオリジナルの同人音声作品を制作している。
音声作品というのは、流行で言えば「ASMR」や「フォーリーサウンド」、「オホ声」などといった「ボイスドラマ」のようなものがあるが、ここではもっと広義に「音声で楽しむエンタメ作品」とさせていただこうと思う。

今回の本題は、僕の音声作品の内容ではなく同人活動全般の方となる。

生来のサボり癖のある僕なのだが、音声作品に関してはコンスタントに制作をして定期的に作品を発表している。
仕事のように強制力のあるものは除いて、ここまで自主的に続けられたモノは、もしかしたら他にはないかもしれない。

続けられている要因に、制作が楽しいというのは当然だろう。
ただ、それだけでは多分続かなかった。
なぜなら、作品の多くは赤字だからだ。
音声代、イラスト代、デザイン代を合わせると、自分の実働時間を経費に入れなくても赤字である(ドヤァ!!!!!)。

ではなぜ赤字でも続けているのかと言われたら、その作品を買ってくれる人がおり、Xで買った報告や感想、レビューをもらえているからだ。
ユーザーさんの反応が少なからずあるから、モチベーションを維持し続けることができている。
だから僕はそんな優しい同人界隈が好きだ。

ただ、ここ1~2年の同人界隈の在り方に疑問を持っている。
というのも、「生成AIイラスト集」や「生成AIイラストをパッケージに利用した音声作品」が増えてきているからである。

僕は小説家を目指していたことがあり、それに伴う生みの苦しみも多少は知っているつもりだ。
イラストも勉強したことがあり、作家さんがどれだけすごいのか身をもって実感している。
だからこそ、今の生成AIイラストについては懐疑的だ。

生成AIの問題点について簡単に伝えると、多くの生成AIが「著作権を放棄していない作品を勝手に学習に使用したうえで成り立っている」というところにある。
自分事にして考えてみて欲しい。
誰だって自分の撮った写真や描いたイラスト、論文やポストした文章、はたまた声などを勝手にマネされていたら嬉しくはないだろうと思う。
少なくとも、自分はこのnoteの文章をマネされたら気分が悪い。

ただ、ここで述べておきたいことは「AI」という技術については、とても期待していたし、今も可能性を信じている。
これから先、どんな風に世界を変えていくのか、人類はどんな恩恵を受けられるのか。
無限の可能性と、より人間らしい充実した生活を実現する手助けになると考えている。
ただ、そこに犠牲を強いるのは間違っているように思う。

もちろん生成AIにはメリットがある。
音声作品を例に考えてみると、イラスト代がかからなくなるところには大きなメリットがある。
通常のイラストレーターさんに依頼する分のお金が浮けば、その分ユーザーさんに安く提供できるようになる。
一見winwinな関係のように見える反面、無断学習元のイラストレーターさんへの還元は0であり、自分の培ってきた技術、成果を無断で使用されただけである。

これは犠牲ではないのだろうか。

……。

……まあ、全ては詭弁だ。

僕の本音は違う。
僕がこの文章を書いている理由の根本は「同人とはなんぞや」というところにある。
同人とは同じ趣味や志を持った人間の集まりのことだ。
そこには本来、同人をお金稼ぎのための場として使おうだなんて気持ちはなかったと思う。
「好きだけどちょっと資本主義経済の市場では窮屈だからここでやろっと」として生まれたのが同人市場だと僕は思っている。
だから生成AIの同人界への進出に強い疑念をいだいているのだ。

みなさんは「同人」について、何を思いますか?

というわけで想定の文字数を超えたので終わり!

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