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あの時の惨めな気持ちは何だったんだろう?

こんにちは、asunaと申します。

前回のnoteで「いとこの家に行ったらなぜかか惨めな気持ちになった話。」を書きましたが、それから何日か経ち、気持ちも落ち着いてきたので、あのときの感情の原因を自分なりに探ってみたいと思います。

結論から言うと、世の中の、大多数の人の普通に当てはまらない生き方をいているから、仕事をしていて当たり前の年齢にもなって仕事をしていないから、そんな自分に罪悪感を覚えたのだと思います。

自分の人生を振り返ってみると、今まで順調な人生を送ってきました。第一志望の大学に入れなかったり、就職で人生に迷ったりなどはあっても、大きな挫折、普通の人から外れることはありませんでした。(あくまで私の頭の中の普通の範囲ではありますが。)
だから自分に自信はなくても、人前ではある程度胸を張っていられた。だから人前では頑張ってると言えても、自分自身に問いかけるとよく分からなくなり、心にぽっかり穴が空いた感覚が続いていたんだと思います。

うまく言えませんが、自分の中で大切にしたいことよりも、いわゆる世の中の正解、周りからいい子・えらい子に見られることを優先していたのでしょう。

今の仕事についていない私は、世の中の役に立っていないんだ。なぜ生きているんだろう。何のためにこの世にいるんだろう。こんな自分が嫌だ。

いとこの家に行ったらなぜか惨めな気持ちになった話。|asunaの徒然日記。

言葉をかけられた瞬間、こんな考えが浮かんだ。祖母の言葉が正論の鋭さと期待の重圧を感じた。そして自分に対しての悔しさも沸々とわいた。
と同時に、自分が1番自分を傷つけていることに気づき、さらに悲しくなった。

いとこの家に行ったらなぜか惨めな気持ちになった話。|asunaの徒然日記。

弱い自分も嫌だし、汚い大人に心を壊され、さらに未来まで奪われるなんてもっと嫌。もう一度社会に出て仕事をしたい。世間の役に立つ人間に、自分で生活を送れる人間になりたいと思った。

いとこの家に行ったらなぜか惨めな気持ちになった話。|asunaの徒然日記。

この時感じた気持ちを忘れずに、次に進むためのエネルギーにしながら、自分の人生を歩むための自分の軸を、時間をかけながら見つけていきたいと思います。

自分軸が正しくて、他人軸が悪い訳でもない。ただ、他人からの目線だけを気にして人生を歩んできた結果、心が壊れる時が来たのでしょう。今これに気づけた私はラッキーでしたね…!

自分の感情をうまく言葉にするのは難しいですね…
でも言いたいことは言えたので、今回はここで終わりにします。

周りが思う「いい子」にはまらず、自分の形を自分らしく見つけていきたい。

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