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ぶどう10粒に込めた願い

その夏、同棲までしていた彼との別れを決めたわたしは、気がつけば勢いで27万円の往復航空券を購入していた。

やけになった訳ではない。

「今しかない」
そう思っただけである。

行先は、ずっと憧れていた南米だった。

あの日買ったっ航空チケットは、オランダ経由のペルー行き。

アメリカの西海岸経由もあったのだけれど、オランダに行ったことなかったし、このチケットならオランダで宿泊できると思ったからというのが決め手。


南米の中でもずっといきたかった場所、それはウユニ塩湖とマチュピチュだった。

特に、ウユニ塩湖に関しては、雨季と乾季が鏡張りに大きく影響してくる。だから、高いお金を出していくのなら絶対に雨季を狙いたかった。

当時私は小学校の先生として働いていたため、クリスマスあたりから正月明け7日くらいまでは冬休み。そこを狙うしかなかった。

でも、そうなるとクリスマスも、正月も恋人を置いてひとり南米にいくだなんて、当時の恋愛体質の私には考えられなかった。

だからフリーになった瞬間の、”今しかなかった”のだ。

オランダにつくころには、日付変更線の関係で日付がもどっていた。つまりわたしはその年、2回クリスマスの日を迎えたのである。

道に迷いながらも、宿泊先のボートホステルに到着。迷いながらうろうろしていた場所は、宿の目と鼻の先だったことを知る。

水の都、オランダのアムステルダムは美しかった。川面に反射する街並みは、クリスマスではなくとも、わたしの心を打ったはずだ。

明日にはペルーに発つからこそ、その夜は存分にオランダのクリスマスを一人で満喫した。

次の日、ペルーに向けて飛行機は飛び立った。ついたのは深夜。リマの空港は治安があまり良くなかった。到着時刻が深夜だから仕方がない。あらかじめ調べておいた、少し値段のする安全なタクシーで市内に向かった。

次の日はリマの街を見て回った。高級住宅街のミラ・フローレス地区は空港近辺と比べても天と地の差。カラフルな高層マンションに、ヤシの木通り、ブテッィクが集まるショッピングモールもある。

なのにわたしはTシャツにジーンズだ。ちょっとアウェイ。

そんな時、連絡が来た。

「もうすぐリマ着くから、少し合流しよか」

クロアチアで出会った友人だった。前回のひとり旅で行ったクロアチアで、たまたま出会った日本人。

わたしは関東、友人は関西と離れてはいるけど、一緒に南米いけたらいいね〜なんて話していた相手。

それが実現したってわけ。


次の日、少し合流したら、友人は先にボリビアに向かった。わたしは明日の便で向かう予定だったため、現地でまた落ち合う約束をした。

なんて自由なんだ。最高。

次の日の便で、わたしはボリビアの首都、ラパスに向かった。ラパスの空港について友人と合流。どうやら同じ飛行機だったらしい。

ラパスでは、友人の旧友が迎えてくれた。ボリビアで海外青年協力隊として働いていた人。任期は終わってもまだいるらしかった。




ボリビアは、ネット上では危険な情報もたくさん載っていた。

だから、南米行きを決めたとき父には猛反対された。でも、認めてもらうためにノートにびっしりボリビアの安全性について調べまとめ、父を説得したのだ。

そのため、ラパスで予約していたのは3つ星ホテル。日本円にするとそこまででもない値段だが、そもそもの賃金が低いボリビアでは高級ホテルだった。

すり鉢状の形をしたボリビアのラパスは、標高が高い場所ほど治安は良くないという。反対に、すり鉢の底面あたりは、高級ホテルやレストランも多く立ち並ぶ。

わたしは、そのド底面にある場所を選んだってわけ。

高層地区では水不足に悩まされているみたいなのに、このホテルはお湯がジャージャーでる。アメニティも揃っているし、ベットはクイーンサイズ。なんだかんだこの旅で1番良いホテルだったんじゃないかな。


ラパスは良い意味で、人間味が溢れる場所だった。

日本では違法のコカの葉が露店で売られていて、みんなクチャクチャ噛んでいた。わたしは葉っぱを噛む気にはなれなかったので、横目で通り過ぎる。

おばあさんが自家製の梅ジュースを売っていた。でも、わたしが飲んだことのある梅ジュースのどれよりも、味が薄かった。あれは本当に梅だったのだろうか。

危険なほどに張られて、垂れ下がった電線を纏った街が作り出す雰囲気が、”人々の生活”を物語っていて、観光地を練り歩くよりもずっとずっと魅力的に感じた。

次の日、首都ラパスから念願のウユニに移動。友人らとはチケットが違うため、また現地での合流になった。ここまできたら、もう慣れっこだ。

上空から見たウユニの町は、茶色だった。屋根がある建物の方が少ない?とさえ思ってしまうほどで、ウユニ塩湖の観光以外で栄えているものは少ないように思えた。

空港の規模も小さくて、正直わたしの地元の駅の方が大きい。出入国で必要な書類は、レシートのような紙切れ1枚。まじか、と思った。

そんなことはさて置き、わたしは念願のウユニの地に降り立ったんだ。という達成感が頭上から降り注いでくるようだった。


ウユニ塩湖への現地ツアーは当日予約制。店の外壁にびっしり張られたカラフルなメモには、バンに乗れる人数だけの数字が書かれている。空欄に自分の名前を書いたもん勝ちな予約に、まずは驚いた。

先に到着していた友人が、わたしも含めて予約をしてくれていた。店先の壁に、私の名前を見つけて、思わず撮影。なんだか嬉しい。

一度ホテルに戻って、ツアーの時間にまた集合した。今日は快晴。昨日は少し雨が降ったようだったが、晴れの日の鏡張りは70点。溜まった塩水が乾いて、ところどころ大地が見えてしまっていた。

だけど、塩の元素の形である6角形がBigサイズになり連なった大地が、自然の神秘をわたしたちに見せてくれた。

舐めてみたら、苦しょっぱい。ちゃんと塩だった。

ランドクルーザーに乗ってガタガタ揺られながら人気スポットへ車は進んでいく。見えるものは真っ白の大地。ナビも使わずに、ツアーのあんちゃんはどこに進んでいるのかわかるのがすごい。

この時のわたしは、この後起きる悲劇なんて知る由もなかった。


夕暮れ時、淡いピンク色から青色に変化していく空が美しすぎて、感動していたところ、友人がドローンを飛ばし始めた。

昼間から危ない操縦をしていた友人のドローンはふらふらと揺れながら飛んでいる。あぶなっかしい。わたしは走ってドローンを追いかけた。

その時、「ぼちゃん」と何かが水の中に落ちる音がした。走ってきた道を戻ると、そこには、わたしのスマートフォンがしっかり水に浸かっていた。

正確に言うと水ではなく、「塩水」

残り1週間の旅が、スマートフォンなしの旅になったのは言うまでもない。充電なんて出来るはずもなく、あっさりスマホの電源は落ちてしまった。


夜のツアーは仮眠を取った後に出発だった。せっかく仮眠からちゃんと起きられたというのに、天気は雨。鏡張りの星空に出会うことはできなかったのだった。だけど、憧れていた、鏡張りお絵かきは実現させることができたので、満足だ。

この写真を撮るために、露出を合わせてくれたおじちゃんは、「俺はこの手の写真を何枚も撮ってきたからな。まぁ、まかせてくれ」とのことだった。完璧だった。


***

ウユニでの滞在が終わり、友人ともお別れ。まさかクロアチアでの出会いが、南米旅まで発展するとは思ってもいなかった。これだから旅はいいよな、と飛行機の中でしみじみ思った。

次はまたペルーに戻る。次に目指すのは、15世紀のインカ帝国の遺跡、マチュピチュだ。新年はすぐそこ。スマホを失っても気にも留めないわたしは、期待を膨らませ飛行機に乗り込んだのだった。



12月31日の夜。ペルーのクスコからバスで向かった先、オリャンタインボ駅を出発したインカレイルは約30分ほどでマチュピチュ村に到着する。

村はニューイヤー前夜祭でお祭りムード。ここでは、新年に赤色や黄色を纏うと縁起が良いというしきたりがあるようで、露天には偽物ピカチュウのお面や真っ赤なパンツがずらり。ピカチュウの顔が怖い。

今夜宿泊するホステルへの道を歩いていると、真っ暗闇の中に何か荘厳とした存在感を感じた。なんだろう、でも何かがある、そんな感覚。

村の中心部では、住民らが手を取り合って踊りをおどっていた。せっかくだからと、仲間に入れてもらい、ニューイヤー前夜祭を存分に満喫。

新年が明ける瞬間、村は爆竹の音と花火の明るさでとんでもないことになっていた。爆竹の音が怖くて、ホステルの中に逃げ込んでいたところ、ホステルのママがわたしを見つけてこう言った。

「How about join family's party?」

なんとホームパーティーに誘ってくれたのである。やはり新年は誰かとともに祝いたいと顔に出ていたのだろうか、ママはわたしを最上階へと案内してくれた。

最上階では、もうすでに家族がみんな集まっていた。おじいさんやおばあさん、娘さんや弟など勢揃い。家族水入らずの時間のはずなのに、見知らぬ日本人宿泊客を参加させてくれるだなんて、アットホームそのものだった。

ここでの新年の祝い方は、わたしが初めて体験するものだった。まず、大人子どもにかかわらず、グラスに白ワインを注がれ、その中にひとり10粒のぶどうを入れる。

その後、誰かとペアになり向かい合わせになると、片方はキヌアなどの穀物をペアに向かって投げる、ぶっかけるな方法は様々。一方投げられている側は、そのグラスを手で蓋をして、穀物などが入らないようにする。

この祝い方の意味を尋ねると、おじいさんが丁寧に教えてくれた。

「このグラスの中身は、あなたの幸せを意味していて、僕が君に向かって投げたものは、あなたに降りかかる災いを意味しているんだよ。だから、必死にグラスの中の幸せを守るんだ」

投げ合いが終わった後は、守り切ったグラスの白ワインを飲み干す。それからぶどうを1粒ずつ食べていくらしい。

そう説明された時、またおじいさんが言った。

「このぶどうは、あなたの幸せ、つまり願いだ。1粒につき1つ願い事をしながら食べるんだよ」

なんてロマンチック…!ただ、10粒分の願い事をすぐに浮かべるなんて、わたしにはできなくて、ゆっくりゆっくり考えながら、願いを込めた「幸せ」を口に含んだ。

***

元旦の朝、わたしはマチュピチュの遺跡に向かった。早朝から出ているバスチケットを購入して、あらかじめ日本で予約しておいたワイナピチュ登頂チケットを握りしめ、いざ世界遺産へ。

新年初日、マチュピチュは快晴。爽やかな朝の空気はまだ肌寒い。徐々に昇ってくる朝日を背に、ワイナピチュ登頂を目指す。

途中で見つけたのは、留学生の日本人2人と台湾人2人。せっかくなら…と一緒に行くことになり、わいわい楽しくワイナピチュを登る。

やっと頂上につくと、そこはもはや岩山のてっぺん。足を踏み外すと死に直結するようなそんなスリルを味わいながら、たくさんの写真を撮ってもらった。ニューイヤーズの少しばかりアホっぽい眼鏡も貸してもらったりして、いい思い出だ。

でも、わたしが知っているマチュピチュの景色はここではなかった。一体どこに登れば、「あのマチュピチュの景色」を見ることができるのか。ワイナピチュから下山したわたしは、遺跡の中をひたすら歩き回った。


そしてやっと見つけたのだ。「あのマチュピチュの景色』を。






なんてことない段差の途中の踊り場のようなところ。そこがわたしが夢にまでみた、憧れの景色だったのだ。

わたしの瞳のファインダーはきっと、マチュピチュに置いてきてしまったのかもしれない。瞳を閉じるとまぶたの裏側に今でも広がるその景色は、一生忘れることができないだろう。







あれから4年。ワイナピチュ登頂チケットを購入するのは、以前よりも厳しくなったと聞く。それにこのコロナ渦だ。もしもまた南米に行くことができるとしたら、いつになることやら。もしかしたら、もう2度とあの景色をこの目で見ることはできないのかもしれない。


未来のことなんて、わからない。


でも、夢を見続けて目指し続けたおかげで、わたしは憧れの景色に出会うことができたのである。



わたしは、4年前、グラスに入った10粒のぶどうを見つめながら願い事をした自分に、伝えたいことがある。



【自分らしく真っ直ぐに生きていくことができますように】



「今のわたしは、あの日願った自分の理想像に少しでも近づくことができるように、1歩踏み出したよ」と。そして、「大好きな人に囲まれて、幸せに生きているよ」と。

だから、これからもわたしは旅に出る。あの10粒のぶどうに込めた願いを叶えるために。



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