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ひきこもりの先に見えた、自分らしい生き方| Niente 

第1回:崩れた日常~ひきこもりの入口~


人生の再生の物語

こんにちは。今回は、私がどん底に落ち込み、そこからどう立ち直って再生していったのか、その道のりをお話しします。人生には、予期せぬ突然の出来事が起こることがあります。それにどう対処するかで、未来が大きく変わることもあります。この物語は、ひきこもりに陥った私が絶望の淵から少しずつ前に進んでいく過程を描いたものです。第1回では、私が「突然、落ちた穴」に気づいた瞬間を振り返ります。

両親の介護が突然の負担に

私のどん底生活の始まりは、母が突然倒れた日からでした。母が脳梗塞で倒れ、すぐに病院に運ばれました。医師から「左半身が麻痺していて、長期的なリハビリが必要だ」と告げられた瞬間、私は覚悟しました。「母を支えなければならない」と。しかし、それは予想以上に大変なことでした。

母はリハビリに対して積極的ではなく、次第にやる気を失っていきました。最初は私もなんとか励まし、付き添っていましたが、母のやる気のなさに心が折れそうになる日も多くなりました。
「これでは回復しないかもしれない」という不安が日々募っていきました。

さらに、父も母の介護が始まった頃から急に体調を崩し、彼の介護も必要になりました。父はもともと不規則な生活をしており、アルコールの影響もあったのか、精神的にも身体的にも弱くなっていました。こうして、両親の面倒を見ることが私の日常になり、自分の生活が次第に崩れていくのを感じていました。

止まらない浪費と借金の悪夢

介護の負担だけでも大きなストレスでしたが、それに加えて両親の浪費癖が私の肩に重くのしかかっていました。両親には、昔からアルコールやギャンブル、買い物依存などの問題がありました。特に母は、役に立たない雑貨や服を無駄に買い込んでしまい、家には使い道のないもので溢れ返っていました。父もアルコールを手放せず、生活費は常に圧迫されていました。

一時期、私は家計の管理を引き受け、できる限り両親の浪費を防ごうとしました。最初はうまくいっているように見えましたが、やがて両親は「自分たちで管理したい」と言い出しました。家族ですから、私はその言葉を信じて金銭管理を任せました。しかし、それが大きな間違いでした。借金は返済されることなく、さらに浪費が加速していきました。家計は崩壊し、再び私が対応するしかなくなりました。月末になると、必要な食材すら買えない状態が続きました。冷蔵庫を開けても食べ物がほとんどなく、生活がギリギリの状態になっていたことを痛感した瞬間は、今でも忘れられません。

親戚の前で悟った現実

そして、親戚たちとの相続会議が開かれました。この会議が、私にとっての転機となる出来事でした。下を向いた父が親戚たちに向かって、「息子がなんとかする」と呟いた瞬間、私はその場で言葉を失いました。父のその一言は、私にすべてを押し付けるものでした。

その瞬間、私ははっきりと悟りました。両親は、自分たちでこの問題を解決する気はまったくなく、すべてを私に押しつけようとしているのだと。親戚の前で、父が「息子が対応します」と呟いたのを聞き、私は自分を守る人が誰もいないことを強く感じました。両親は、私を支えるどころか、ただ自分たちの問題をすべて私に背負わせようとしているのだと。
会議の帰り道、私は「もう生きていても仕方がない」と感じるようになりました。すべてが無意味に感じられ、自分が生きている意味さえも見失ってしまいました。

生きる意味を失った日々

それからというもの、私は借金や介護の解決策を探るのではなく、どうすれば自分の人生を終わらせることができるのか、ばかり考えるようになりました。自殺の方法を調べ始め、毎日無気力に過ごす日々が続きました。自分がいなくなれば、両親の借金も消えるかもしれない、親戚たちの態度も変わるかもしれない――そんな思いが頭を巡っていました。

それでも、結局何も変わらないことは理解していましたが、もうどうしようもなく、生きる意味を完全に見失ってしまっていました。毎日が暗く、何もできないまま、心の中で自分が壊れていく感覚が続いていました。

次回予告

こうして私は、両親の介護、浪費、そして自分に押しつけられた重圧に押しつぶされ、心が壊れてしまいました。生きる意味を完全に失い、無気力な日々が続きました。

次回は、この動けない日々の中で、私が何を感じ、どのように自分と向き合い始めたのかをお話しします。次回「動かない日々の中で」、どうぞお楽しみに。