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私の職業は…

おはようございます。こんにちは。


私の人生において素晴らしい職業に出逢い

現在に至ります。

交通巡視員です。

なんや!そんなことか!

制服着たヤツなんて敵や!

賛否両論。

そう思われても仕方がないこと。

残酷なことを言います。

研修もありますが

自身で常に学習、訓練、責任感、

この3つ無ければ

並みの人には勤まりません。

それと言うのも

現場に出れば誰も教えてくれる人はいない。

助けはない!

警察対応以外、全て自己責任です。


世間相手です。

マニュアルどおりには絶対行きません。


自分に行き詰まり、

1年持たずに辞職する方もいると聞きます。


私は拝命を受け、

14年目に入ろうとしております。

現在通常任務は児童、生徒、

その他運転手に街頭で

交通安全や交通教育、指導、啓発、

地域の治安など周囲の見回り、

多岐に渡って活動を行います。

時に自動車で一日巡回していることも…

キロ数にしたら1日200kmは走る。

空き番は在宅で情報収集も行っています。

任命権者は知事及び市区町村長が有し、

与えられる地位は地方公務員の更に上、

『特別地方公務員』

我々の職務には何人も左右されることはありません。

だからこそ襟を正し、

ことば下手でも正しい知識を

相手に伝えることが出来るよう

日々の学習は絶やすことはありません。


また、警察権以外の様々な権限を有し、

例えば職務中である私を妨害等すれば

公務員の職務を妨害する罪、

通称:公務執行妨害罪(刑法95条1項)

制服に手を触れてもいけません。

暴言吐いて強要すれば

職務強要罪(刑法95条2項)

これらが皆様いちばん知る所となりますね。

またこれとは別に難関である

駐車監視員資格も保有しています。

ここから経緯をご説明を致します。

拝命を受けたのは41歳、

遅咲きのアホな冒険者です。

最大のきっかけは回覧板に掲載されている

1枚のチラシ、


公職に就く以前、

過去に和歌山県交通表彰3回、

国家交通表彰勲三等が私にはあります。


何故選ばれたのか

今以て不明です。

当時、採用枠は1人。

バイト転々ゴロゴロしていた。

うつ病真っ只中の無職で

自分に自信を付けるのではなく、

何かしてみたい。

死んで行くならでっかいことやって

こころに残せるもの残して

死んでやろうじゃないか!!

浅はかで不純な動機で受験申込しました。


筆記、面接試験があります。

筆記試験は30分。

1時間で合否判定が出て全員合格でした。


問題は面接。

これに関しては言えない部分もあるので

掻い摘んで…

「続けて行く自信はあるか?」

「揶揄されることに耐えらるか?」

「臨機応変は?」


等々、質問攻めに合います。

全て正直に答え、出来るものは出来る、

出来ないことはできないと…

受験後の10日目の14時...

忘れもしません。

自宅で洗車していたら一本の電話がありました。

「貴殿を採用する。追って採用通知書を送付する。

 16時までに出頭するように!」

驚きました。

まさか私のような無粋者が採用だなんて

夢にも考えにも及ばす、

喜びなんかどこへやら…

言われるがまま着の身着のまま出頭しました。


そこで制服制帽の採寸、それが終われば

入念たる説明、配属先などが告げられます。


最初は自動車の通行が多い

とある高校の正門近く。

生徒たちにおはようございます!って挨拶しても

当時、ひとりだけ返事してくれる子がいて

あとは誰も返事をくれません。

思わぬ洗礼を受けました。

制服着るって抵抗されるんだってね…

毎朝挨拶してくれたその一人の当時の男子生徒…

現在店長ではないがカラオケ店でお店を任される

ポジションにいます。すごいね!

自動車等付近で停車した場合、

不審性を感じたら声をドライバーに声掛けします。

覚悟の瞬間です。

何故か?

それはね、相手の自動車の窓が開いた際に

何が出て来るか分からないので

声掛けは慎重になるんです。

話は前後しますが

やがて翌年3月1日、春を迎え、

3年生は卒業後して行きます。

卒業後のある日、

いつものように警戒に当たっていると、

一台の軽自動車が私の真ん前で停車。

当然ながら声掛けに入る。

「あの時は注意してくれて
 ありがとうございました。
 免許、一発で合格しました!」


私からはね、

「免許がある限り先は長いから
 自分から事故せんようにな」

もう少し気の利いた言葉なかったか・・・
悔やまれますが古い記憶は今も忘れません・・・

…声はなくても分かっていてくれたんだ…

そんな時は嬉しいです。

正直言ってこれ以上は身が持たないと

感じ始めていたころです。


いつだったか…辞職するか…

迷いながらもそんな初年が過ぎました。

そこで当時の青年の言葉が思い出され、

自身にこころの変化がありました。


「定年が無いんだから良くも悪くも

 声を掛けてくれる市民のため、

 私も一緒に市民と歩み寄り、

 もっともっと勉強して

 体の続く限りやろうじゃないか!」



そう思うようになりました。

長くなるので本日はここまでにします。

本日の最後にこのことばを残します…

いま、道に迷っているあなたへ。

人生は青い海、

荒れたり、凪いだりします。

不意打ちのドラマも人生にはあります。

私のように生きるのが不器用でも

努力は絶対絶対嘘をつかないんです。

人には御縁が存在し、

暗いトンネルの中ばかりではありません。

トンネルの中から明るい光が差し込み

出口で始まりなんです。

道は必ず開かれます。

生きること、決して諦めないで下さい。

お付き合いいただきありがとうございました。

皆様におかれましては佳き一日でありますように。

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