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今更ながらの自己紹介と本日54歳の誕生日に思うこと

皆様、おはようございます。

何を隠そう私は本日54歳の誕生日を迎えました。

思えば、こうしていられるのも、
両親あってこそ今日があることを痛切に感じます。

若かりし頃は、世間なんか何たるものぞ!
なんて息巻いて、時に病に伏しながらも
どうにか生きながらえることが出来たことは、
この世に生を受けてくれた両親や、
周囲のお陰あればこぞ、
いま、こうして書いていることに幸せを感じます。

1970年の今日、千葉県に生まれ育ち、
何不自由なく生きて来ました。

語りたくない事実もあり、
これまで学生時代のことを伏せて来ましたが、
私は、中学時代、壮絶なイジメに遭い、
不登校寸前まで行きました。

殴られ、
蹴られ、
シカトは日常茶飯事。

これ以上のイジメの内容に関しましては、
真似する者も現れかねませんので言及は避けますが、
皆様が思う以上な経験をしました。

その時にね「何で俺だけ」
そう思いましたよ。

だけどね、そのときに支えてくれたのが
両親、そして森田健作氏の登場でした。

特に父・・・

やがて高校に入学し、二年生の夏、
父から言われたことが今も頭から離れない。

それは「法を覚えること」
拳よりも法を覚えることによって
他人様の痛み、苦しみが分かる、
今(当時)よりも優しい世界が必ずやってくる、

我が父の予言は見事的中でした。

話は変わりますが、
当時の自分といえば大の勉強嫌い、
手っ取り早く勉強出来て、
早く社会に出たい一心で法学科のある短大を
自ら選んだ。

短大卒業後、大手百貨店に勤務するも、
やはり、そこでもイジメに遭い、
辞める原因となったのは
「不正経理」です。

犯罪に加担するぐらいならさっさと辞職してしまえ!
決算時期が来る前に辞職しました。

辞めた直後、
「ある病」に伏すこととなります。

そこから6年、ひきこもり生活の始まり。

周囲見て、
あんな仕事、こんな仕事したい、
周囲が羨ましい、
悶々とした毎日を過ごす。

その引きこもった6年の間に
縁あってこの和歌山の地に辿り着き、
海風大きく深呼吸!
夏になれば海水浴場でバイト、
運送会社で非正規のドライバーなど、
30代は職も転々とした。

公務員となったのは41歳、
きっかけは、回覧板。

採用は1人だけ。

何もしないよりはいいかも・・・
でっかいことやって、
終わるんだったそれも良し!

そんな考え、どこへやら・・・

まさかの遅い人生第二のスタート。

馬子にも衣裳って言葉あるけど、
最初、制服着た自分がどうにもこうにも、
滑稽な話で、似合わなくて・・・

そう、おまわりさんの始まり。

最初、3年は各地転々と配属先が変わりながら
現在に至り、この地であっと言う間の10年が過ぎた。

見るもの、聞くこと、感じること、
全てが変わった。

弱気を助け、強気を挫くとは何ぞや!

これは一般人では本当の理解は出来ないよ・・・

これから先ね、
あと何年この仕事ができるか分からない。

気は若くても、これから先、老いには勝てない、
物忘れもするようになる年齢だ。

だからこそ、こうして書き残して、
悔いのないことを、自分なりに何でもいい、
やっていきたい、そう感じる今日この頃です。

経験あればこそ、毎日こうして詩にできる。

両親に、
皆様に、
「ありがとう」と言いたい。

最後までオヤジの愚痴を聞いて戴いたことに感謝します。

皆様、
どうか佳き一日でありますように・・・






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