1富士2赤3鉛筆

 センター試験を2回受けたが、2回目はなかなかスリリングだったので、回顧してみる。当日は家から自転車で10分の某工業大学で受験することができた。約1年前の春にはあれだけ励まし合っていた予備校仲間もこの頃には、あまり話さなくなってた。

 違う予備校で浪人している中学の同級生のマルちゃんが、東京大学の赤本を持って廊下をウロウロしていた。曰く、「現役のやつらにプレッシャーかけてる」らしい。その精神攻撃は果たして、効果はあったのだろうか。わたしたちは、浪人生専用控室へと足を踏み入れた。この長く苦しい予備校生活の終わりの始まりである。いざ。

「おはようございます!」

ひときわ甲高い声が使用人数のわりに広い控室内に響いた。出入り口で入ってくる人全員に挨拶をしている。職員ではなさそうだ、この、女の子、もきっと浪人生なんだろう。見るからに変わっている。目立つ風貌だけど、わたしの予備校では見たことない。それにしてもうるさい。何のゲン担ぎか知らないけど、そんなに挨拶が好きなのか。1科目目が始まる前まで、元気にその子は挨拶をし、宿敵現役生にプレッシャーをかけに行ったマルちゃんは戻ってこなかった。

 そして1科目目が始まる。まさかのわたしの前の席が、あの挨拶の子だった。手のひらを太陽にかざすように、手帳を開いて掲げ、そのページには富士山のスタンプが押してあった。そして何やら呪文を唱えている。周囲の集中力をそぐ作戦には思えなかったので、わたしもその何と言っているかわからない呪文にあやかることにした。

 お昼ご飯は、マルちゃんの浪人仲間と一緒に食べた。全然知らない人だったけど、今日のお弁当はお父さんが作ってくれたんだと話していた。志望校は東京大学らしい。冷凍食品の受験生を応援するパッケージの「合格」の二文字をハサミで切り取って、弁当の端に入れてもらっていた。ここにいる全員、受かるといいなあと話した。

 昼からの科目のわたしの前の席は、あの女の子だった。相変わらず呪文を唱えている。昼からも何かと目立っていた。あの子は、試験官にリスニングの機械を触らないでと言われている時間に触り注意されていたし、筆記用具はよく落とし、椅子に掛けていた上着をわたしの足の上に落とす(蹴り飛ばすわけにはいかないのでそのまま受験した)。極めつけは、やたら長い髪をしてらっしゃるので、わからない問題があるたびにどうも頭を振る癖があるのか、それをされるたびにわたしの問題用紙の上を彼女の髪の毛が通過するのである。やめてほしかったが、その子も同じく1年間浪人した身。仏の心を持ち、問題に集中した。

 だが、翌日、そうはいっていられないことになった。翌日もマルちゃんは宿敵現役生にプレッシャーをかけるために、東京大学の赤本を持って校舎内をウロウロしていた。翌日もその女の子の甲高い挨拶から一日が始まった。さて、わたしはというと、得点源の数学1Aがやたら難しかった。思ったより解けなかったのだ。その焦りに追い打ちをかけるように、前の席からあの子の髪の毛が振り回される。やばい。ここで点が取れなかったら、何のための浪人生活だったんだ。手ごたえがないまま、わたしは最後の数学2Bの時間を迎えた。そして、仏の心は捨て、彼女に初めて声をかけた。

 「ごめんね、ちょっと髪の毛とか、後ろの席に気を遣ってくれると助かるな。」なるべく、優しく、つとめて優しく、そう伝えた。すると、彼女は顔面蒼白になり、大きな声で「すみません!」、その後も、「すみません、すみません」と何度も謝った。ああ、そんなに泣きそうな顔をしないで。申し訳ない気持ちになったが、人生がかかっているのはこちらも同じだ。わたしは鬼の心を捨てずに「いえ、頑張りましょう、でもお願いしますね」とつとめて優しく伝えた。

 髪の毛をまとめるゴムを、持っていなかったのだろう。なのに、彼女はわたしのお願いをちゃんと聞いてくれた。けど、少し笑ってしまう。どうやってまとめたのか、予備の鉛筆をまるでかんざしのように使い、お団子頭になっていた。顔を上げれば、目の前の人の頭に鉛筆が刺さっている。ボリューミーな髪の毛も、1時間、鉛筆がしっかりと支えてくれた。

別の意味で集中できなくなりそうだったが、無事、試験を終え、わたしは浪人生としてのセンター試験を終えた。マルちゃんは帰りも東京大学の赤本を持って帰宅した。あの子はどうなったか知らないが、今日もどこかで元気に挨拶をしているのだろう。

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