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自分の正しさより大切な事

「自分は正しい」。。。

知らず知らずのうちにそんな風に思っている事は?それは自分の意見を言う時だったり、何かを批判している時だったり。

日々、自分の言動の奥底に「自分は正しい」がある事に気付かされる事がある。なぜなら、自分の考えや価値観は自分の世界を創っているから。自分という人間のあり方や世界が正しいと、誰しもがそう信じたくなるものなのかもしれない。

「正しい」と人間関係

確かに学問やビジネスのようなシーンでは、正解と間違いをはっきりさせる事が求められる。でも人間関係ではどうだろう?自分が正しいと思い込む事で、人との関係を良くできるのだろうか?

実際には大抵の場合、悪化させてしまう事が多いのでは。。。?人との口論やいがみ合いは、それが原因で起こることがしばしばだと思う。

自分が正しいと思い込んでいると、まず相手の立場が考えられなくなる。そして分かり合えないジレンマ(ストレスや失望)が怒りに変わっていく。お互いが「自分は正しい」の一点張りだと、怒りだけが大きくなってしまう。

ぶつけられた「自分は正しい」

これは私の体験談になってしまうのだけど、、、

ある日、私は自分的には大丈夫だろうと思ってやった事が、ある人の価値観に反する事だった為にすごい剣幕で怒鳴られてしまった。私はびっくりして謝ったが、その人の怒りは全く治っていないようだった。

私はまず自分はそんなに怒られるほど間違っていないだろう、と自分の正しさを正当化しようともしていたけど、少し時間が経つと、相手の気持ちを十分に考えられていなかったかも、、、と反省する気持ちも湧いてきた。

でも最終的に感じた事。それは「自分は正しい」を人にぶつける事の醜さや怖さだった。人に露骨にされて初めて気づいた。人に怒鳴る事まではしてないにしろ、私も今まで「自分は正しい」を根底に人に話したり接したりした事が多々あったから。。。

私に怒鳴った人の表現の仕方や強さは違えど、私と全く同じ「自分は正しい」をぶつけてきただけだった。

価値観も個性

私達は皆外見、才能、性格や考え方が違って、一人一人に個性がある。世界には違う文化や宗教、歴史的・社会的背景もある。家庭の背景でも違ってくる。そんな事が価値観も同じように言えると思う。

だから他人はもちろんのこと、家族や友人でも価値観は違って当たり前。そんなスタンスで人を見てみれば、少し「私は正しい」という感覚も緩んでいくんじゃないかと思う。

マインドフルネスに「自分が正しい」と向き合ってみる

マインドフルネスでは物事をあるがままに受け止めて、ジャッジをしない練習をする。それが心に平和と安定をもたらせてくれる。

自分の価値観も人の価値観もあるがままに受け止める。ジャッジをせずに相手の価値観や存在を認めるように心がけてみる。もちろん自分の価値観や存在も認めた上で。

そして慈悲の心で「相手の立場になって、共感しよう」と努力してみる。
良い人間関係には、歩み寄りが不可欠だと思う。

自分の正しさを貫き通すよりも、もっと大切な事がある気がする。それはシンプルに愛を選ぶ事なんじゃないか、と感じる今日この頃。


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