推しが教えてくれたこと。―谷口彰悟選手への思いの丈を、思いのままに―
2022年12月26日。つまり昨日。
私の“推し”である谷口彰悟選手は、海外移籍のため日本を発ちました。
正直まだ色々な感情が追いついておらず、頭のまわりを言葉になりきれない言葉たちがふわふわと舞っている段階ではあります。
しかしその中でもなんとか掴まえることのできた言葉たちを、ここにしたためたいと思います。
派手で、そして地味なイケメンとの邂逅
2016年3月。私は初めて足を運んだ等々力陸上競技場で、川崎フロンターレ(以下フロンターレ)のサッカーに魅了されていました。
「YouTubeで見た時も面白いと思ったけど、実際に見るともっとずっと面白い!」
そしてその試合でCBを務めていたのが、当時プロ3年目にさしかかった谷口彰悟選手でした。
「さっきポスターで見た時は派手顔のイケメンだと思ったけど、プレーはどちらかというと地味というか……縁の下の力持ちなんだな。」
それが、谷口選手に対する第一印象です。
正統派なイケメンと、周りのために献身的になれる人が好きな私は、どちらも兼ね備えた谷口選手のことがたちまち大好きになりました。
「代表経験もあるんだ」「熊本出身なんだ」「B型なんだ」「3人姉弟の末っ子なんだ」
選手の詳細情報にアクセスのしやすいフロンターレのおかげで、すぐさまそういった情報を得ることができました。
一方で、「谷口選手……すごく良いけど、サッカー初心者の私が“代表歴があってイケメンで、人生超順風満帆”みたいな選手が好きとか言ったら、ただのミーハーと思われるのでは?」というためらいもありました。
今なら「ミーハーの何が悪い!世の中はミーハーとオタクがお金を落とすのだ!!」と堂々と言えますが、当時は初心者ゆえの遠慮と謎の自意識が働いたのです。
そんな自分と折り合いをつけるため、「顔や見た目以外の部分で、好きなところを10個挙げられるようになったら谷口選手のユニフォームを買おう」と決めました。
そして5番のユニフォームに袖を通す日は、自分でも拍子抜けするほど早くやってきて、笑ってしまったことを覚えています。まだまだひよっこサポーターな私ですが、なんだかんだあれから7年近く経っているんだなぁ。
階段を上る、花開く
初めて等々力でフロンターレの試合を観戦してからというもの、転がるようなスピードでフロンターレのことが大好きになった私は、ホームだけではなく全国津々浦々のアウェイにも出向くほどのめりこんでいきました。
そして2017年の最終節、フロンターレは21年越しの悲願であった「優勝」に、ついにたどり着くことができたのです。
私はあの瞬間を現地で迎えることができたのですが、試合終了の笛が鳴ってからしばらくの光景を、今でも鮮明に覚えています。きっと一生忘れることはできないでしょう。
そこからフロンターレは、何かが吹っ切れたように怒涛のタイトルラッシュが続きます。
2022シーズンこそ惜しいところで無冠に終わったものの、まっさらだったエンブレムの下には、6年の間に6つもの星が一気に付きました。
そして私の視点では、大好きなフロンターレの中心にいるのは、いつだって谷口選手でした。
2016年には天皇杯の準決勝で決勝点を決め、チームを初の決勝へと導く
2017年にはフロンターレでリーグフル出場をし、DFでありながらリーグで7得点を挙げる
2018年には初めてのベストイレブンに選出される
2020年にはキャプテンに任命されて、クラブ初の2冠に貢献。ここから3年連続でベストイレブン入り
2021年には再び代表の舞台へ。フロンターレもリーグ史上最多勝ち点となる勝ち点92を積み上げての優勝を飾る
2022年には崖っぷちのW杯アジア最終予選において、負傷選手の代わりになる形で出場。勝利と最終予選突破に貢献し、フロンターレOBの板倉選手と共に「不安要素が一転、大収穫」という評価をされる。
その後のE-1選手権ではキャプテンを務め、日本を優勝に導く。
そしてW杯本番。グループリーグ最終戦となるスペイン戦でスタメンに名を連ねる。「スペインに勝たないとグループリーグ突破は絶望的」というまさかのタイミングでの抜擢にも関わらず、出色のパフォーマンスで勝利に貢献……
と、両者は華やかな階段を駆け上がり、そして花開いています。
そして谷口選手はJリーグのトップクラブといえるフロンターレで、これ以上ないほどの順調なキャリアを積んでいる……かのように見えました。
熱いハートを燃やせよ
「川崎F谷口が海外移籍」
そんな見出しが飛び込んできたのは、まさに先日のW杯で、谷口選手が大活躍をしているさなかでした。
晴天の霹靂ともいえる報道に、冷水を浴びせられたような、体中に熱いものを押し付けられたような、息苦しくなるような、うまく例えることのできない状態になりました。
W杯という盛り上がるイベントの最中のできごとだったため、いちフロンターレサポーターでありサッカーファンとしては、最悪のタイミングでの報道でした。しかし私も日ごろメディアに関わる仕事をしているので、メディアの気持ちも分かります。(分かりたくないという感情はあれど)
その報道以降、クラブからの正式発表までの時間は、永遠と思えるほどでした。
「なんで30歳を過ぎた今海外移籍?」
「フロンターレじゃだめなの?」
「十分にたくさんのものを持っているのに、これ以上何を求めるの?」
「タイトルを逃した涙の挨拶が最後なんて嫌だよ」
「ずっとフロンターレにいてよ」
そんなことをぐるぐると考えてしまいます。
しかし駄々をこねる自分がいる一方で、自身の体験に重ねている部分もありました。
私はフロンターレの初優勝に立ち会った時の大きすぎる感動が原体験になり、「スポーツを『見る』だけじゃなくて『支える』ことがしたい!」と一念発起し、30歳でスポーツビジネスを学び始めました。
その過程で「自分が輝かせたいものを輝かせる手段を得たい」と、31歳で未経験からPR業界・広報職を目指すこととしました。
そして転職活動に苦戦をしつつも32歳でPR代理店に転職し、オールドルーキーとして七転八倒しながらも、どうにかこうにかそれっぽいことをできるようになってきたところです。
前職については、大きな不満はなく穏やかな時間を過ごしていました。
しかしもっと自分を成長させて、自分にたくさんのものをくれたサッカーに貢献したい、そのためにチャレンジをしたいという思いを止めることができず、一歩踏み出して今に至っています。
前職では、期待を受けて異動をした矢先の退職でした。
当時の上長に退職の意思を伝えた際、怒られるのかと思いきや、こんな言葉をくれたのです。
「あなたがいなくなることは会社にとっては損失だけど、その歳で本気でやりたいことがあること。そしてそれを受け入れてくれる場所があることはとても素敵なことだよ。」
あの時の言葉を思い出しながら、何度か深呼吸をします。
「そうだよね。他人からどう見えているかじゃない。自分の中にどんな意思や思いがあるかだよね。」
私に新しい道を歩む勇気をくれたフロンターレの、真ん中にいた谷口選手が今まさに新たな挑戦をしようとしている。
応援するしかないじゃない。そしてかつて私がしてもらったように、輝かしい前途を願っていたいじゃない。
推しが教えてくれたこと
しかし綺麗事を言ったところで、複雑な気持ちはそう簡単におさまりません。
誰かと一緒にいる時や仕事中は大丈夫でも、ふとした瞬間に涙が出ます。
何かが目に入る度に、胸がズキズキします。
そう、一丁前に失恋みたいなことになっているのです。
今まで5番のユニフォームしか買ったことがないから、絶賛ユニフォーム迷子です。
フロンターレが好きなことに変わりはないけど、これから何を楽しみの中心に据えれば良いのかも迷子です。
そしてこの期に及んで、愛を語らせてください。
推しの好きなところ。
常に冷静に物事を見られるところ。
広報目線でも安心して見られるほどコメントが優等生だけど、「えー」が多くて話している内容がたまに入ってきづらいところ。
何に対してもしっかりと言語化ができるところ。
ガニ股ゆえに、遠くにいても見分けがつくところ。
「怒る」じゃなくて「叱る」ことができるところ。
バランス感覚が良くて、求められている振る舞いがどんな場面でもできるところ。
たまに適当な部分が垣間見えるところ。
いざという場面で、肝が据わりすぎているところ。
歳を経るごとに、どんどん良い選手になっているところ。
そして、推しが教えてくれたこと。
物事には、遅すぎるということはきっとないこと。
いくつになっても挑戦することの大切さ。
「凡事徹底」を積み重ねていけば、素敵な景色が見られること。
あなたの明日が、明後日が、そしてずっと先の未来までもが、幸多きものであることを願っています。
でもやっぱりわがままを言うなら、「良い意味で」サックスブルーのユニフォームに再び袖を通すあなたが見れたら良いなぁ。
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